プログラムノート

第55回「ちょっとロマンティック」ロマン派後期

田中伶奈:「こども定期演奏会2015」
テーマ曲(編曲:日下部進治) みらいの空へ

グリーグ:『2つの悲しい旋律』から「過ぎし春」
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 から 第1楽章
ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調 から 第2楽章
ワーグナー:オペラ『さまよえるオランダ人』序曲

プログラムノート 飯田有抄(音楽ライター)

今年の「こども定期演奏会」のテーマは「オーケストラ・タイムマシーン」です。オーケストラが皆さんのタイムマシーンとなって、いろいろな時代に連れて行ってくれます。前回のこども定期演奏会では、作曲家たちの想いがたっぷりと込められた「ロマン派前期」の音楽をご紹介しましたが、今日もその続きです。
今回は「もっとロマンティック」と題して、19世紀の後半、今から150年ほど前からヨーロッパで生まれたロマン派後期の素敵な音楽をご紹介しましょう。

グリーグ:『2つの悲しい旋律』から 「過ぎし春」

皆さんは「北欧」という言葉を聞いたことがありますか?「欧」という字は、ヨーロッパのことを意味しています。ですから北欧とは、ヨーロッパの北にある国々のことを指します。デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、アイスランドといった国々です。北に位置する国では、冬は夜がとても長くて太陽が顔を出す時間がとても短くなります。逆に夏には真夜中の時間でもうっすらと明るい「白夜」が続くところもあります。こうした北国にも、優れた音楽を作った作曲家たちがいます。一曲目にお聴きいただくエドヴァルド・グリーグ(1843~1907)はその一人。グリーグは、フィヨルドと呼ばれる狭い湾がたくさんあるノルウェーという国の作曲家です。自然の恵みにあふれ、人々の商業も栄えた地で彼は豊かな心を育み、ノルウェーの民族的な要素にあふれた音楽作品を残しました。  今日演奏される「過ぎし春」という曲は、もともとは歌曲です。グリーグは37歳のとき(1880年)に、ヴィニエというノルウェーの詩人の詩をもとに12曲の歌をつくりました。グリーグはその中からお気に入りの2曲を選んで弦楽オーケストラ用に編曲し、『2つの悲しい旋律』として発表しました。その第2番にあたるのが「過ぎし春」です。もとの歌曲の詩は、北欧の暗く長い冬が終わって、輝くような光あふれる春がやってきたことの喜びを伝えています。しかし同時に、「これが最後の春になってしまうかもしれない」という人生の終わりを予感している切ない内容です。弦楽アンサンブルの美しい響きに、じっくりと耳を澄ませてみましょう。 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 から 第1楽章  ロマンティックなクラシック音楽といえば、ロシアのピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840~93)の存在を忘れるわけにはいきません。チャイコフスキーはロシアで音楽の専門的な勉強をし、プロの作曲家として活躍した第一号の作曲家です。  「ヴァイオリン協奏曲」というジャンルでは、ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーンというドイツの作曲家による作品が、いわゆる「3大ヴァイオリン協奏曲」として知られていますが、チャイコフスキーのこの作品をプラスして「4大協奏曲」といわれることもあります。この曲は、ヴァイオリンという楽器がとてもよく響く「ニ長調」で作られ、感動的なメロディーが高らかに鳴り響く名曲なのです。  作曲されたのは1878年。チャイコフスキーが38歳のときです。弟子のヴァイオリニストに相談しながら、わずか20日間ほどでスケッチを終え、2ヶ月ほどで曲を完成させました。しかし出来上がってみると、あまりに演奏するのが難しかったので、弟子からは初演を断られました。さらには有名なヴァイオリニストからも「演奏不可能だ」と言われてしまいます。ようやく3年後に初めて演奏されましたが、当時としてはあまりに新しく力強い音楽だったので、会場のお客さんはとても驚き、批評家も「悪臭のする音楽」という評価をしたほどでした。チャイコフスキーは当時の人々に簡単に受け入れられることよりも、自分のほとばしる想いを音楽に乗せようと思ったのです。その結果、後世に残る感動作を生み出すことになりました。

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 から 第1楽章

ロマンティックなクラシック音楽といえば、ロシアのピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840~93)の存在を忘れるわけにはいきません。チャイコフスキーはロシアで音楽の専門的な勉強をし、プロの作曲家として活躍した第一号の作曲家です。

「ヴァイオリン協奏曲」というジャンルでは、ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーンというドイツの作曲家による作品が、いわゆる「3大ヴァイオリン協奏曲」として知られていますが、チャイコフスキーのこの作品をプラスして「4大協奏曲」といわれることもあります。この曲は、ヴァイオリンという楽器がとてもよく響く「ニ長調」で作られ、感動的なメロディーが高らかに鳴り響く名曲なのです。

作曲されたのは1878年。チャイコフスキーが38歳のときです。弟子のヴァイオリニストに相談しながら、わずか20日間ほどでスケッチを終え、2ヶ月ほどで曲を完成させました。しかし出来上がってみると、あまりに演奏するのが難しかったので、弟子からは初演を断られました。さらには有名なヴァイオリニストからも「演奏不可能だ」と言われてしまいます。ようやく3年後に初めて演奏されましたが、当時としてはあまりに新しく力強い音楽だったので、会場のお客さんはとても驚き、批評家も「悪臭のする音楽」という評価をしたほどでした。チャイコフスキーは当時の人々に簡単に受け入れられることよりも、自分のほとばしる想いを音楽に乗せようと思ったのです。その結果、後世に残る感動作を生み出すことになりました。

ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調 から 第2楽章

続いてはボヘミア(現在のチェコ)の作曲家アントニン・ドヴォルザーク(1841~1904)の作品です。ドヴォルザークが売れっ子作曲家になったのは比較的遅く、30歳を過ぎてからでした。当時、オーストリア政府は芸術家にお金のサポート(奨学金といいます)をしていました。ドヴォルザークが政府に申し込んだところ、彼の才能は奨学金の審査員をしていたブラームスの目に留まり、ドイツの出版社に売り込んでもらえたのです。ボヘミアの独特なリズムや美しいハーモニーをたたえた彼の音楽は人気となり、ヨーロッパのみならず、新大陸のアメリカに音楽院長として呼ばれるなど、大活躍をしました。

さて、今日演奏されるのは、ドヴォルザークが48歳のとき(1889年)に作曲した交響曲第8番です。この作品は「イギリス」というサブタイトルで呼ばれることがあります。ドヴォルザークは生涯に9回もイギリスを訪れて、自分の作品を指揮したほど、イギリスが大好きでした。しかし、この曲自体はイギリスを音楽で表そうとしたものではありません。むしろ、ボヘミア的な素朴さや哀愁のただよう音楽です。「イギリス」と呼ばれるようになったのは、この曲の楽譜がイギリスの出版社から出されたからでした。

お聴きいただくのは第2楽章です。「アダージョ」つまり「ゆるやかに」という言葉が添えられたこの楽章は、弦楽器の語りかけるようなメロディーではじまります。フルートやオーボエが奏でるのどかなメロディーがヴァイオリンのソロに受け継がれ、オーケストラ全体が高らかに歌います。やがて深刻なムードに突入したかと思うと、再びのどかで愛らしい音楽が現れ、感動的な締めくくりを迎えます。

ワーグナー:オペラ 『さまよえるオランダ人』序曲

おしまいは、リヒャルト・ワーグナー(1813~83)による力強い音楽を聴いていただきましょう。オペラ『さまよえるオランダ人』の序曲です。序曲とは、オペラの幕が上がる前にオーケストラが演奏する曲で、これから始まるストーリーを予感させるような音楽です。ワーグナーという人は、オペラの世界に大きな影響を与えたドイツの作曲家。それまでのオペラのスタイルを打ち破り、音楽と文学とがステージの上でひとつになるような、大規模な「楽劇」や「舞台祝祭劇」を作り上げました。有名な作品には楽劇『ニーベルングの指環』(全部で4部作からなり、上演には4日間、全15時間かかります!)などがあります。音楽と舞台の芸術を融合させた「総合芸術」を打ち立てようとしたワーグナー。育てのお父さんやお兄さん・お姉さんが俳優やオペラ歌手という環境の中で子ども時代を過ごしたことも、その後の彼の創作を方向付けたのかもしれません。

『さまよえるオランダ人』は、ワーグナーが28歳のとき(1841年)に完成しました。舞台は18世紀のノルウェー(先に登場したグリーグの祖国ですね)。ごつごつとした岩に囲まれた海岸で、嵐の中、ノルウェーの船乗りダーラントの船が停泊していました。そこに、呪いによって永遠に海をさまようオランダ人船長が現れ、運命の女性と永遠の愛を誓えれば、自分は呪いから解かれることを打ち明けます。ダーラントは自分の娘ゼンタを彼の結婚相手にと考えます。ゼンタもオランダ人に想いを寄せることになり……。序曲は、ホルンやトロンボーンなど金管楽器が呪われたオランダ人を描くように、不気味で勇ましいモチーフを奏で、弦楽器が荒れ狂う海を表すような音型を響かせます。やがてゼンタの愛を表した明るく柔らかなフレーズが登場します。曲は激しい暗さと、きらめくような明るさとが入り交じるようにして進んで行きます。