プログラムノート

第53回「ずっと昔…」バロックと古典

田中伶奈:「こども定期演奏会2015」
テーマ曲(編曲:日下部進治)みらいの空へ

モーツァルト:オペラ『フィガロの結婚』序曲
ヴィヴァルディ:協奏曲集『四季』から「春」第1楽章
J. S. バッハ:G線上のアリア
ハイドン:チェロ協奏曲第1番 ハ長調 から 第1楽章
ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調「田園」から

プログラムノート 飯田有抄(音楽ライター)

みなさんはアニメやSF映画に登場するタイムマシーンを知っていますか? タイムマシーンは、時間を飛びこえて大昔や未来に飛んでいくことができる夢の乗り物です。今年の「こども定期演奏会」のテーマは「オーケストラ・タイムマシーン」。オーケストラが皆さんのタイムマシーンとなって、いろんな時代に連れて行ってくれます。さまざまな時代の音楽を聴き、オーケストラの時間旅行を楽しみましょう。

今回わたしたちが訪れるのは「ずっと昔」。音楽の歴史ではバロックや古典派と呼ばれる時代です。今から200~300年以上昔に生まれた作曲家たちは、どんな音楽を作っていたのでしょう? 耳を澄ませて聴いてくださいね。

モーツァルト:オペラ 『フィガロの結婚』序曲

はじめは1786年に大ヒットしたオペラ『フィガロの結婚』序曲をお聴きいただきましょう。序曲とは、オペラの幕が開く前にオーケストラが演奏する音楽のこと。これからどんなお話が始まるのかな?とワクワクさせてくれます。

作曲したのはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~91)です。彼が30歳で作曲したこのオペラは、この序曲からも伝わるとおり、明るく楽しい物語。お金持ちの伯爵に仕えるフィガロは、美しいスザンナともうすぐ結婚することになっています。ところが、女好きの伯爵がスザンナを誘惑しようとしているではありませんか。フィガロや伯爵の奥さんたちはみんなで手を組んで、伯爵をこらしめるというお話です。モーツァルトの活き活きとした音楽は、229年たった今もまったく古さを感じさせませんね。『フィガロの結婚』は現代もよく上演されるオペラのひとつです。

ヴィヴァルディ:協奏曲集 『四季』から 「春」第1楽章

さて、次は時代をもう少しさかのぼって、イタリア人の作曲家アントニオ・ヴィヴァルディ(1678~1741)の活躍した時代に行きましょう。彼の有名な『四季』という曲は、「1725年までには完成していた」と言われています。今から290年も昔です。

ヴィヴァルディは幼い頃からヴァイオリンを得意とする少年でした。お父さんがキリスト教の聖堂でヴァイオリンを弾く仕事をしていたので、小さな頃から弾き方を教えてもらっていたのです。大人になるとヴィヴァルディは、キリスト教の音楽やオペラなどをたくさん作りました。また、自分が得意とするヴァイオリンのための作品も多く残しています。『四季』もそんな作品の一つです。

『四季』は、春・夏・秋・冬という4つの曲から成り立っています。意外なことかもしれませんが、当時は曲にタイトルを付けるのは珍しいことでした。ましてや言葉の説明を加えることなど、ほとんどありませんでした。ところがヴィヴァルディは、四季のそれぞれの楽章のために詩を寄せており、音楽が表している動物や自然や人々の様子を伝えています。今日演奏される「春」の第1楽章には、「春がきた 小鳥が幸せそうに歌う 小川が西風にささやく やがて空は黒い雲につつまれ 雷がとどろく 嵐が過ぎ去ると ふたたび小鳥が喜び歌う」という詩がついています。そんな情景を想像しながら聴いてみましょう。

J. S. バッハ:G線上のアリア

続いては、ヴィヴァルディよりも7歳年下のドイツの作曲家、ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685~1750)の『G線上のアリア』を聴いていただきましょう。これはバッハが『管弦楽組曲第3番』というオーケストラのために書いた組曲の中に入っている曲で、第2楽章「アリア」と付けている曲です。なぜ「G線上の」という言葉が付いているかというと、バッハがこの曲を作ってからおよそ150年後、あるヴァイオリニストがピアノと一緒に演奏できるようにアレンジした際、ヴァイオリンに張られた4本の弦のうち、一番低い音域をならす弦(これをG線といいます)だけで演奏できるように編曲したことから、この名で知られるようになったのです。

ヴィヴァルディやバッハが活躍した頃の音楽は「バロック音楽」と呼ばれます。音楽の歴史については、別ページのコラムも読んでみてくださいね。

ハイドン:チェロ協奏曲第1番 ハ長調 から 第1楽章 

今度はヨーゼフ・ハイドン(1732~1809)の時代を訪れましょう。ハイドンのあとにモーツァルトが活躍し、その後にベートーヴェン(次の曲を書いた人)が登場します。3人とも音楽の都ウィーンで活動したので、「ウィーン古典派」と呼ばれています。ハイドンとモーツァルトは親子ほど歳が離れています。ハイドンは24歳年下のモーツァルトから、とても尊敬されていました。

ハイドンはエステルハージ侯爵家という大金持ちの貴族のお城に仕え、曲を作ったり演奏したりする楽長として働きました。100曲以上の交響曲、80曲以上の弦楽四重奏曲など、信じられないほど多くの作品を残しています。本日お聴きいただくチェロ協奏曲第1番は、ハイドンが同じお城で働いていたチェリストのために作ったもの。長らくその楽譜は行方不明になっていましたが、今から54年前の1961年に発見され、世界中で演奏されるようになりました。第1楽章は華やかでとても優雅な雰囲気にあふれています。

ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 「田園」から

最後はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)の作品です。ベートーヴェンは今日登場した作曲家の中では一番年下です。といっても、生まれたのは今から245年前。ドイツのボンに生まれ、16歳のときにモーツァルトに弟子入りしようとウィーンに向かいます。しかしお母さんが病気で命が危なくなったため、弟子入りできないまますぐにボンに戻ります。5年後、今度はハイドンに音楽を習おうと再びウィーンにやって来て(ハイドンは当時大忙しで、なかなかベートーヴェンに教えてあげる時間はなかったそうです)、作曲家として活躍するようになりました。  ベートーヴェンの生きた時代は、音楽の歴史は古典派からロマン派へと移り変わろうとしていた時期です。 ベートーヴェンこそが、来るロマン派音楽に続く新しい道を切り開いた最初の作曲家と言ってもいいかもしれません。交響曲はそれまで4つの楽章で作られるのが普通でしたが、ベートーヴェンは交響曲第6番「田園」を5つの楽章で構成し、しかも第3~5楽章は続けて演奏するという新しい手法を取り入れました。

ところで、ベートーヴェンは散歩が大好きでした。毎日、作曲の仕事を終えたあと、自然の美しさを感じながら、たっぷりと時間をかけて歩くことを楽しみにしていたそうです。交響曲第6番「田園」には、散歩道でベートーヴェンが感じた自然への感謝の気持ちが込められています。この曲を書いた37歳の夏、ベートーヴェンは耳の病気に苦しんでいました。当時は今と違って、すぐれた補聴器などがなかった時代です。音楽家なのに耳がどんどん聞こえづらくなって、とても辛い思いをしていました。そんなとき、お医者さんはベートーヴェンにハイリゲンシュタットという田園風景が広がる場所で暮らすことをすすめました。豊かな自然の眺めに心をなぐさめられながら、ベートーヴェンはこの田園交響曲を作曲したのです。

第1楽章には「田舎に着いたときのはればれとした気分」、第2楽章は「小川のほとりの情景」、第3楽章は「農民たちの楽しい集い」、第4楽章は「雷雨、あらし」、第5楽章は「牧人の歌——あらしのあとの喜ばしい感謝に満ちた気分」とそれぞれタイトルが付いています。第3~5楽章までは途切れずに続けて演奏されます。今日は第1、2楽章は部分的に、第3楽章は繰り返しを省略して、第4、5楽章はそのまま演奏されます。ベートーヴェンと自然の中を歩くような気持ちで、ゆったりと聴いてみましょう。