ヨハン・シュトラウスII世(1825〜99)は、音楽の都ウィーンで活躍した作曲家です。シュトラウス家は音楽一家で、父も兄も有名な作曲家でした。とりわけ、シュトラウスが音楽家になることを反対していた父親は、彼のもっとも強力なライバル。父よりすぐれた音楽家になることが彼の目標でした。そんな親子の芸術の戦いは、『美しく青きドナウ』などのたくさんのワルツの名曲となって、今も世界中の人々を楽しませています。 毎年、クリスマスと新年のお祭りが終わり、謝肉祭の季節(2月ごろ)がやってくると、ウィーンは舞踏会のシーズン。街中にシュトラウスの音楽があふれはじめます。風はまだ冷たく吹き付けていますが、人々はそこに、やがて来る春の香りを感じ取ります。 そんな季節のある日のこと、シュトラウスは、知り合いの家の夕食に招かれていました。お客さんたちの中には、有名なピアニストのリストもいました。夕食後のひととき、誰からともなくピアノを弾き始め、みんなで即興的に音楽を作ったり、連弾したりと、楽しい時間をすごしました。興がのったシュトラウスは、自分やリストたちが即興で弾いた音楽をつなぎ合わせ、それをもとにその場で新しいワルツを作曲しました。それがこの『春の声』だと言われています。お客さんたちはきっとみんな喜んで、楽しく踊り明かしたことでしょうね。
音楽家たちの中には、年をとってからすぐれた才能を発揮する人もいれば、子どもの時からプロとして活躍している人もいます。ドイツの作曲家、フェリークス・メンデルスゾーン(1809〜 47)は、その後者のほう。9歳の時には、すでにピアニストとして演奏会の舞台に立っていました。しばらくすると彼は作曲の勉強も始め、先生も舌をまくようなすばらしい曲を書くようになります。ピアノを弾いたり、作曲をしたりするほかにメンデルスゾーンが好きだったのは、本を読むことです。なかでも、イギリスの劇作家シェイクスピアの戯曲は彼のお気に入りでした。 メンデルスゾーンは、17歳の時にシェイクスピアの『真夏の夜の夢』を読んで、その幻想的な世界のとりこになってしまいました。ヨーロッパではむかしから、夜がもっとも短い夏至の日の夜には、よう精や魔物たちが飛びまわり、不思議なことが起きると言い伝えられています。本のページをめくるたびに飛び出してくる、よう精たちの魔法の世界を、少年メンデルスゾーンは生き生きと音楽の中に描いていきました。 物語のきっかけは、よう精の王オーベロンと女王ティターニアの夫婦げんかです。ティターニアをこらしめてやろうと、オーベロンは、いたずらよう精のパックに命じて、ティターニアにいじわるな恋の魔法をかけさせます。ところが、パックが人間たちにも同じ魔法をかけてしまったから、さあ大変。恋人たちは相手を間違え、だれがだれを好きだったのか、だれがだれを追いかけていたのか、さっぱりわからなくなって大混乱!——しかし最後には、オーベロンの力で魔法がとけ、恋人たちの晴れやかな結婚式が行われます。メンデルスゾーンは、はじめこの音楽を仲よしの姉ファニーと連弾するためにピアノで書き、そのあとでオーケストラ用に書きなおしました。
アントニオ・ヴィヴァルディ(1678〜 1741)は、今から300年くらい前に、イタリアのヴェネツィアで活躍していた作曲家です。彼は、おさない時からすばらしいヴァイオリンの才能をあらわし、10歳の時には、ヴェネツィアの「聖マルコ大聖堂」という有名な大きな教会のオーケストラのメンバーになって演奏していました。やがて神に仕える神父になったヴィヴァルディは、親のいない子どもたちを集めて楽器を教え、彼らのオーケストラを作ります。彼の作品の多くは、このオーケストラのために書いたものです。 きょうは、ヴィヴァルディの作品の中でももっとも有名な曲集『四季』の中から聴いていただきましょう。『四季』は、ヴァイオリンのソロ(独奏)とオーケストラとで演奏する、「協奏曲」という種類の音楽です。「春」「夏」「秋」「冬」の4つの曲からなっていますが、きょうは「秋」を演奏します。管楽器をまったく使わない弦楽器だけのオーケストラで、秋の風物詩をあざやかに描いています。 作物の刈り入れが終わり、農民たちが収穫を祝っています。つぎつぎとお酒がふるまわれ、よっぱらった人々は、やすらかな眠りにおちていきます。やがて夜が明け、角笛の音が響いて、勇壮な狩りの始まりです。逃げるえもの。追いかける猟犬たち。秋の日の楽しい光景が繰り広げられます。