| |
|
 |
 |
2008年7月26日(土) |
|
| |
|
| |
|
| |
■山田耕筰:赤とんぼ |
| |
山田耕筰(1886〜1965)さんは、日本に西洋のクラシック音楽が入ってきたばかりのころ、いまから100年と少し前に活躍した作曲家です。まだ外国で勉強する人などほとんどいなかった時代にドイツに留学し、日本に帰ってからは指揮者としても活動しました。そして、日本にオーケストラ音楽を根づかせるために、大変な力を注いだのです。
山田さんがもうひとつ力を注いでいたのは、日本語のリズムや音の流れを大切にした「歌」を作ることでした。山田さんは、北原白秋や三木露風など、当時のすぐれた詩人の書いた詩に、つぎつぎと曲を書いていきました。この『赤とんぼ』は、山田さんがこだわりにこだわった曲。だれもが口ずさむ、美しいメロディが生まれました。 |
|
|
 |
| |
 |
| |
■ソプラノ:釜洞祐子 |
| |
| 神戸女学院大学音楽学部、東京音楽大学研究科オペラコース、オペラ研修所第4期修了。日本音楽コンクール第1位他受賞多数。『魔笛』夜の女王役で本格的デビュー、翌年ハンブルク州立歌劇場日本公演『魔笛』同役で急遽代演し、国際的な注目を浴びた。日本国内では、松村禎三『沈黙』オハル、三枝成彰『忠臣蔵』お艶、R. シュトラウス『アラベラ』ズデンカ、『リゴレット』ジルダ、プーランク『声』など幅広い演目で、新国立劇場をはじめ諸劇場に出演している。最近では05年日生『夕鶴』つう、06年新国『愛怨』桜子/柳玲、07年二期会『ダフネ』のタイトル・ロール、08年新国『黒船夜明』のお吉役で出演し絶賛を浴びたことは記憶に新しい。東京音楽大学教授。二期会会員。 |
|
|
 |
| |
 |
| |
|
| |
|
| |
■伊福部 昭:SF交響ファンタジー第1番から |
| |
北海道の釧路に生まれた伊福部昭(1914〜2006)さんが亡くなったのはおととしのこと。その直前まで仕事をつづけた伊福部さんの存在は、若い作曲家たちを勇気づけていました。伊福部さんが子どものころ、身のまわりで聞こえる音楽といえば、古くから北海道に住んでいるアイヌの人々の音楽や、開拓(荒れ地を整備すること)のために各地から集まってきた人々の歌だったといいます。その経験が、親しみやすいメロディや、力強いリズムとなって、伊福部さんの音楽の中に流れているのです。
伊福部さんは、映画音楽の作曲家として知られ、約300本の映画に音楽を書きました。とりわけ、『ゴジラ』や『大魔神』などのSF怪獣映画は有名です。『SF交響ファンタジー』は、そのなつかしいゴジラの音楽です。 |
|
| |
 |
| |
|
| |
■芥川也寸志:交響管弦楽のための音楽〜第2部 |
| |
『芥川也寸志(1925〜1989)さんは、作曲家としても、指揮者としても活躍しました。黒柳徹子さんと音楽番組の司会をするなど、音楽でたくさんの人を楽しませることが好きな方でした。お父さんは、『蜘蛛の糸』などを書いた作家の芥川龍之介です。芥川さんは子どものころ、いつもお父さんのレコードを聞いていたそうです。芥川さんが学生のとき、日本は戦争になりました。中学生以上はみな戦いにかり出され、芥川さんも陸軍の軍楽隊に入隊しました。芥川さんたち音楽学校の学生は、飛行機のエンジンやプロペラの音で敵かどうかを聞き分けたり、たたいた音の高さで鉄板の厚さを測ったりする仕事をさせられたそうです。
そんな芥川さんが、戦争後まもなく書いたのがこの『交響管弦楽のための音楽』でした新しい時代が来たことを感じさせる、とても力強つよい音楽で、アメリカでもたいへん評判になった作品です。 |
|
|
 |
| |
 |
| |
|
| |
■三善晃:管弦楽のための協奏曲 から 第3楽章 |
| |
| 三善晃(1933〜)さんは、子どもの時からピアノやヴァイオリン、作曲の勉強をしていたそうです。大学ではフランス文学を学びましたが、学生時代に「尾高賞」という大きな賞を取るなどして、早くから注目されていました。パリに留学した三善さんは、日本人がヨーロッパの音楽を学ぶとはどういうことなのか、音楽を作るということはどういうことなのかを、いつも問いかけながら作曲をつづけてきました。 そんな三善さんの音楽は、まっすぐに何かを見つめている子どもの目のように、いつもきらきらと輝いています。とりわけ三善さんの書く合唱曲やオーケストラ曲は、豊かで美しい響きに包まれています。『管弦楽のための協奏曲』は、そうした作品のひとつです。 |
|
| |
 |
| |
|
| |
■細川俊夫:ハープ協奏曲「回帰」から |
| |
| ドイツで音楽を学んだ細川俊夫(1955〜)さんは、いま一番活躍している世代のひとりです。外国での活動が多いのですが、日本の古代の音楽である「雅楽」の楽器を使った作品や、やはり日本の伝統的な演劇である「能」を題材にしたオペラなど、とてもユニークな作品をたくさん作曲しています。 細川さんも、音楽を作るということは「自分の心の中をみつめること、自分の中に眠っている音に耳をすますこと」だと考えています。東京交響楽団のために書かれたこのハープ協奏曲では、ハープは私たち自身。オーケストラは宇宙や自然なのだそうです。私たちが自然や宇宙に話しかけ、歌いかけると、自然はそれにさまざまな響きで答えます。音楽は、いまここにいる私たちの心そのものなのです。 |
|
| |
 |
| |
|
| |
■ハープ:吉野直子 |
| |
日本が誇るハープの国際スター。第9回イスラエル・コンクールに17歳で優勝。ベルリン・フィル、イスラエル・フィル、フィラデルフィア管、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス等トップ・オーケストラ、小澤、アーノンクール、ブーレーズ、アバド他世界的指揮者との共演、ザルツブルク、ルツェルン他主要音楽祭への参加など華やかに活躍。
2003年よりアバドの呼びかけによって世界トップ・クラスのソリスト達で結成されたルツェルン祝祭管弦楽団にも参加。1985年アリオン賞、1987年村松賞、1988年芸術祭賞、1989年モービル音楽賞奨励賞、1991年文化庁芸術選奨文部大臣新人賞、エイボン女性芸術賞を受賞。
http://www.naokoyoshino.com/ |
|
|
 |
| |
 |
| |
|
| |
■武満徹:弦楽のためのレクイエム |
| |
いま世界中で「日本の作曲家で知っている人は誰?」と聞いたら、おそらくだれもが名前をあげるのがこの武満徹(1930〜 1996)さんでしょう。戦争中、まだ中学生ぐらいだった武満さんは、『きかせてよ、愛のことばを』というシャンソン(フランスの歌謡曲)を聴いて衝撃を受けたのがきっかけで、音楽家になろうと思い、戦争が終ってから苦労して音楽を学びました。日本の音楽の琵琶や尺八とオーケストラを組み合わせた『ノヴェンバー・ステップス』などの作品が有名ですが、じつは武満さんが最後までいちばん書きたかったのは、あのシャンソンのように、「大切な人のために、その人へのおくりものとして作る歌」でした。武満さんは、「音楽」を純粋に、本当に愛した作曲家だったのです。
『弦楽のためのレクイエム』は、武満さんが27歳の時に書いた作品。当時の多くの人々は、これまで聴いたこともない美しい響きに、すっかりおどろいてしまったと伝えられています。 |
|
| |
 |
| |
|
| |
■冨田勲:新日本紀行 |
| |
今はコンピューターを使えば、だれでも音楽でも作れる時代です。けれどもみなさんのご両親が子どもだったころは、機械で音楽を作ることがようやく始まったばかり。そんな時代に、日本にはじめて「シンセサイザー」(さまざまなねいろの音を出したり、組み合わせたりすることのできる機械)と呼ばれる楽器を持ちこんだのが、冨田勲(1932〜)さんでした。冨田さんがシンセサイザーで演奏する、ドビュッシーの『月の光』やホルストの『惑星』は、当時としてはほんとうに新しい響きで、レコード屋さんがどの売り場に置いたらいいかわからず文句を言った、というエピソードが残っています。
『新日本紀行』は、日本各地の季節の風景や、人々の暮らしをテーマにしたテレビのドキュメンタリー番組。たくさんの人が、この音楽とともに、ふるさとの風景を見るのを楽しみにしていました。 |
|
| |
 |
| |
|
| |
■三枝成彰:オペラ『忠臣蔵』から お艶のアリア「この女はあんた一人のもの」 |
| |
三枝成彰(1942〜)さんは、子どものころ、お父さんのすすめでピアノを習いはじめました。ところが当時は戦争が終ったばかりで、ピアノを習うのはまだめずらしかった時代。三枝さんは、小学校の先生に「男の子がピアノなんか弾いていると病気になる」と言いわれてしまったそうです。それを聞いておこったお父さんが、学校をやめさせ、もっと自由な学校に転校させたのだといいます。三枝さんは、若いころからオーケストラ曲や、映画・放送のための音楽を数え切れないほど書いていますが、中でももっとも力を入れているのがオペラだといいます。 江戸時代を舞台にした『忠臣蔵』は、主人のうらみをはらすために、禁じられていた「あだ打ち」(ふくしゅうすること)を行なった47人のさむらいたちの物語です。彼らは、みなどんな思いで戦いに行ったのでしょうか…。お聴きいただくのは、一人の武士の恋人、お艶の歌です。
お艶のアリア「この女はあんた一人のもの」
あたしは大工の棟梁の娘。
惚れた男は一途に尽くし、
朝露と花火が大好きで
甘いものには目がない女。
あんたを思って日が上り、
あんたが帰って日が暮れる。
あんたがそばにいれば、
あたしの一日はまたたく間。
あんたと離れている時は
時が澱んで進まない。
こんなにも好きになれる人が
何処の横町に隠れているかしら。
あんたと一緒ならきっと
悲しみも楽しみながらやってくる。
あんたはわかっているのかしら、あたしはあんた一人のものだって。
(島田雅彦 詞)
JASRAC出0808789-801 |
|
|
|
 |
| |
 |
| |
|
| |
■坂本龍一:戦場のメリークリスマス |
| |
坂本龍一(1952〜)さんは、国際的に活躍する作曲家です。みなさんのお父さんやお母さんの中には、「YMO」というバンドの時から坂本さんのファンだった、とおっしゃる方もあるでしょう。坂本さんは、東京芸術大学の学生だったころから、クラシックだけでなく、ジャズやロック、民族音楽や電子音楽に興味を持ち、さまざまな音楽家たちと交流してきました。『ラストエンペラー』などの映画音楽は、世界中で知られています。
25年前に作られた映画『戦場のメリークリスマス』は、第二次世界大戦中の、日本軍の捕虜収容所(とらえた敵の兵士などを集めておくところ)を舞台にした物語で、北野武さんや、坂本さん自身が俳優として出演して話題を呼びました。いまも人々の心に残る、有名なメロディです。 |
|
|
 |
| |
 |
| |
|
| |
■千住明:『風林火山』テーマ |
| |
千住明(1960〜)さんは、きょう聴いていただく中ではもっとも若い作曲家です。妹の真理子さんはヴァイオリニスト、そしてお兄さんの博さんは日本画家として有名で、仲のよい「芸術家三兄弟」として知られています。千住さんは、はじめ普通の大学に進学し、それから東京芸術大学で作曲を学びました。やはり学生時代から活躍し、これまでに映画、テレビのドラマやドキュメンタリー、アニメ、CMのための音楽を多く手がけてきました。
『風林火山』は、去年NHKで放送された大河ドラマのための音楽。戦国時代の武将、武田信玄とその軍師(戦いに勝つための方法を教える人)、山本勘助を主人公にした物語です。音楽は、これから始まる、わくわくするようなドラマの幕開けを告げています。 |
|
|
 |
| |
 |
| |
|
| |
武満徹と日本の作曲家 |
| |
きょうここに取り上げた作曲家の名前を、皆さんは耳にしたことがありますか? ここにあがっている人たちは、活躍している有名な日本の作曲家の、ほんの一部にすぎません。そんなにたくさんの作曲家が日本にもいるのかと、びっくりなさった方もあるでしょう。彼らが、いわゆるクラシックの音楽だけでなく、いろいろなジャンルで活躍していることにも、おどろかれるかもしれません。けれどもバッハやモーツァルトの昔から、世界中の多くの作曲家たちは、コンサートホールや劇場だけでなく、こうして音楽の求められるところにはどこでも行き、自分の才能の力をつくして、音楽を作り出してきたのです。
日本にクラシック音楽が入って来たのは、今から100年と少し前の明治時代。そのころはピアノもヴァイオリンもめずらしく、町のふつうの人は、ヨーロッパのクラシックなど聞いたこともないという人もたくさんいました。山田耕筰や、『花』などの歌で知られる滝廉太郎が活躍したのはそうした時代です。その後、日本のクラシック音楽は、短い間に大きく発展していきます。しかし伊福部昭や芥川也寸志の活躍した昭和の時代になると、今度は戦争という困難が待ち受けていました。戦争中は、敵の国だったアメリカやヨーロッパから入ってきたものはすべていけないものだとされたのです。もちろん、苦しい時の心のなぐさめとして、好きな音楽をかなでることさえむずかしい世の中でした。
戦争の終ったすぐあとは、今度は物のない時代がやってきました。武満徹たちの世代は、毎日の食べ物の心配をしながら、それでも音楽ができる喜びをかみしめて、新しい音楽を生み出してきたのです。人間は、新しいものにふれると、わくわくするいっぽうで、今までの自分を否定されたように思い、不安になったり、不愉快になったりすることがあります。それが、日本ばかりでなく世界の現代の音楽が向き合っている大きな壁です。武満がオーケストラと日本の楽器を組み合わせたすばらしい『ノヴェンバー・ステップス』を作った時も、冨田勲がシンセサイザーを使った時も、そうした反応がありました。しかし、今ではそれがうそのように、彼らの音楽は高く評価されています。
ふだんどんな音楽も自由自在に聞ける今の私たちには想像できないかもしれませんが、作曲家たちは、昔も今も、さまざまな困難と戦いながら、音楽を生み出し続けてきました。それは、「音楽」を何より大事と思い、いつも「音楽」といっしょにいたいと思い、その気持ちを誰かに伝えたいという強い気持ちがあるからです。きょうの演奏から、そんな彼らの思いを感じとっていただけるでしょうか。 |
|
| |
|
|
 |
| |
|
| |
|