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2008年5月10日(土) |
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■ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ |
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モーリス・ラヴェル(1875-1937)は、今から100年ほど前のパリの町で活躍した作曲家です。彼のあだ名は「オーケストラの魔術師」。彼が音楽を作ると、まるで画家が色とりどりの絵の具を使って絵をかくように、あざやかな美しい響きを持った音楽が生まれてきます。音の一つ一つが命を持って、生きているかのよう。魔法使いが命のない人形に息を吹ふき込むように、ラヴェルがオーケストラに息を吹き込こむと、音楽はたちまち踊りだし、おしゃべりをしたり、笑ったり、ため息をついたりしだすのです。
『亡き王女のためのパヴァーヌ』は、ラヴェルが若いころに作曲した曲で、もとはピアノの曲でした。ラヴェルは作曲してから10年ほどあとに、これをオーケストラの曲にしました。
「パヴァーヌ」というのは、古い優雅な踊りの曲のことで、くじゃくがゆっくりと羽根を広げながら踊っているようすなのだとも言われています。それにしても、こんなに美しい音楽をささげられた「王女」とはだれなのだろう――この曲をラヴェルからプレゼントされた貴族の女性も、友人たちも、みながラヴェルに尋ねましたが、ラヴェルは答えませんでした。それでも、目を閉じると、まぼろしの王女が残していった、やさしいかすかな香水の香りや、静かにゆれる衣の動きまでもが感じられるようですよね。ラヴェルの音楽の魔法は、私たちを夢の世界にさそっていきます。 |
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■フォーレ:『ペレアスとメリザンド』から「シシリエンヌ」 |
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ガブリエル・フォーレ(1845-1924)は、ラヴェルよりずっと年上ですが、ほとんど同じ時代に活躍した作曲家です。ラヴェルは彼の弟子。そしてあとから登場するサン=サーンスは、彼の先生です。フォーレも、絵のような色彩にあふれる音楽を書いた人ひとで、とくに歌の作品にすばらしいものがたくさんあります。
『ペレアスとメリザンド』は、『青い鳥』などで知られるベルギーの作家、メーテルランク(メーテルリンクともよばれます)の書いた戯曲(劇の物語)をもとに作られた音楽です。
舞台は、今から千年も前のヨーロッパ。アルモンド国の皇太子ゴローは、日暮れの森の中で、長い髪をした美しい娘が泣いているのに出会います。彼女の名前はメリザンド。どこか遠くの国から来たのだ、と言います。ゴローは彼女を妻として、城につれて帰ることにします。城には、ゴローの祖父のアルケル王と、ゴローの弟のペレアスがいました。年が近ちかいペレアスとメリザンドは、出会であってすぐになかよしになり、恋に落ちてしまうのです。でもメリザンドはお兄さんのおきさきです。ペレアスは、メリザンドと別れて遠くに行いくことを決心します。ペレアスがメリザンドと最後のお別れのくちづけをかわしているところへ、とつぜんゴローがあらわれます。しっとにかられたゴローは、ふたりに剣で切りかかり、ペレアスを殺してしまいました。傷を負ったメリザンドは、ショックのあまり赤ん坊を産み落とし、自分も息を引き取ります。ゴローは、悲しみと後悔にさいなまれ、泣きくずれるのでした……。
きょう聴いていただく音楽は、ペレアスとメリザンドが泉のほとりで遊びたわむれる場面で演奏される「シシリエンヌ」。「シチリアーノ」とも呼よばれる、踊りの音楽です。 |
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■サン =サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番 ロ短調 から 第3楽章 |
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『動物の謝肉祭』などの作品で知られるカミーユ・サン =サーンス(1835-1921)は、多くの人から尊敬された音楽家でした。彼は、ベルリオーズや、グノー、ビゼー、ワーグナーなどの大作曲家たちとも知り合いで、彼らのすばらしい芸術を、ずっと若い世代の音楽家たちに伝えることができました。年をとってからは、なかなか活躍する場のない若い音楽家たちのために、作品を発表するチャンスを与えようと手をつくしていました。
彼が人々から尊敬されていたもう一つの理由は、音楽だけでなく、詩や、演劇などのほかの芸術にもすぐれていて、しかも、哲学や科学などにもくわしい、本当の意味での「教養のある人ひと」だったからです。彼はいつもこう言っていたと伝えられています。「魚が水の中で生きるように、私は音楽の中で生きている」。だからサン =サーンスの音楽は、まるで呼吸しているかのように自然で、そして言葉をしゃべるように生き生きとしているのでしょう。
この『ヴァイオリン協奏曲第3番』は、スペインの有名なヴァイオリニスト、サラサーテのために書いた作品です。サラサーテは、とても手が小さかったのですが、その小さな手から、心がふるえるような響きを奏でることができました。 |
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■ヴァイオリン:松本紘佳 |
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1995年4月生まれ。横浜市在住。4歳からヴァイオリンを始める。2006年、第10回ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクール・ジュニア部門第2位(最年少受賞)。07年、第61回全日本学生音楽コンクール・小学校の部・全国大会第1位。07年8月、浜離宮朝日ホールでジャパン・シンフォニアと共演。08年2月、横浜みなとみらいホールの「生きる〜2008若い命を支えるコンサート」で神奈川フィルと共演。
現在、原田幸一郎、ジェラール・プーレの両氏に師事。 |
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■ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲 |
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クロード・ドビュッシー(1862-1918)も、ラヴェルやフォーレ、サン =サーンスと同じ時代に生きた人でした。彼の音楽は、それまでのどんな音楽ともちがっていて、多くの人々をおどろかせました。とくにこの『牧神の午後への前奏曲』は、はじまりのフルートの音が印象的です。このような響きで始まる音楽が、ほかにあったでしょうか!
ドビュッシーは、マラルメというフランスの詩人の詩によせて、この音楽を書いています。詩に登場するのは、大昔の、古代ギリシャの神話(神々を主人公とした物語)の世界。野山の神々やニンフ(妖精)たちがくりひろげる、夢のような世界です。 「牧神」とは、「パン」という名前でも知られる、ギリシャ神話の神です。体の半分が人にん間げん、半分がけものという姿をしていると信じられていました。ある日、真昼の木かげで眠っていた牧神が目覚めると、ニンフたちが楽しそうに水浴びをして遊んでいます。牧神は起きあがり、自分も仲間に入れてもらおうと、ニンフたちを追いかけます。けれどもニンフたちは、牧神をこわがってにげまどい、すがたを消してしまいます。彼女たちを追うのにつかれた牧神も、やがてふたたび眠りにさそわれていきます……。音楽は、そんな幻想的な情景を描いています。 |
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■ラヴェル:『ダフニスとクロエ』第2組曲 |
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ラヴェルは、ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』を聴いて、その魅力に心の底からとりつかれてしまいました。牧神やニンフたちが登場する、はるか古代の世界のイメージは、彼の心の中で静かにふくらんでいきます。そして、さきほどの『亡き王女のためのパヴァーヌ』を作曲してから約10年後。35歳になったラヴェルは、バレエのための作品を書き上げました。それがこの『ダフニスとクロエ』です。
むかしむかし、ギリシャの海にうかぶ、とある島でのこと。少年ダフニスは、父も母もだれかわからない捨て子で、森の中でヤギに育てられました。少女クロエも捨てられた子どもで、ニンフたちの住む洞窟の中で羊に育てられました。ふたりは、ヤギ飼いと羊飼いに拾われ、すくすくと成長します。やがてふたりはなかよくなり、そしておたがいに恋するようになります。美しいふたりは、みなの人気者ですが、ふたりはおたがいのことしか目に入りません。ところがたいへん。クロエは海賊に誘拐されてしまいます。なげき、悲しみ、どうしたらよいかととほうにくれるダフニスの前に、あの「牧神」があらわれます。牧神は、森の妖精たちとともに、海賊におそいかかり、クロエを助けてくれたのです。ふたたびいっしょになって喜ぶダフニスとクロエに、羊飼のおじいさんが教えます。牧神は、自分も昔、恋人を失なって悲しい思いをした、だからクロエを助けてくれたのだよ……。ダフニスとクロエは、村の人々とともに、牧神をたたえて踊ります。 きょう聴いていただくのは、バレエの重要な音楽をぬき出した「バレエ組曲」です。海賊がいなくなり、平和がもどった森と草原を描がく「夜明け」、ダフニスとクロエが牧神の恋の物語を演じる「パントマイム」、そして「全員の踊り」です。 |
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フランスの薫り |
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みなさんは、フランスにどんなイメージを持っていらっしゃるでしょうか。ファッションの国? 料理やお菓し子の国? 「フランス」を地図で見てみてください。ヨーロッパの西のはしに近いところにあります。南側は、イタリアやギリシャと同じように地中海に面していて、青い空と海、輝く太陽の光が降り注いでいます。けれども北側は、灰色の空と荒れた海、潮風の吹きすさぶ土地なのです。その間には、ほんの少し前まで、森や野原はらや沼地が広がっていました。この土地に、昔ケルト人やフランク人と呼よばれる人々が住み、キリスト教徒やユダヤ教徒やイスラム教徒など、さまざまな文化を持った人々が暮らしていました。ヨーロッパの文化、アジアの文化、アフリカの文化が行き来する交差点のようなフランス。その中から、いま私たちが楽しんでいる、たくさんの音楽が生まれてきました。 きょうご紹介する4人の作曲家が活躍していたころのフランス、とくにパリの街は、世界でも指折りの大都会でした。そこには、昔と同じように、いえそれ以上に、さまざまな人や文化が入りみだれていました。万国博覧会が開かれたおかげで、人々は日本ほん中国の文化にさえふれることができたのです。とりわけ、ロシアから「バレエ・リュス」(ロシア・バレエ団)がやって来た時には、バレエ好きのパリっ子たちは、見たことのない衣装や聴いたことのない音楽に、すっかり夢中になってしまいました。
多くのフランスの人々には、自分たちの文化を誇るいっぽうで、新しいものの考え方や感じ方に喜びを覚え、大切にするところがあります。新しいものを発見したり、理解したりできるように、いろいろなことを見よう、聴こう、勉強しようとする習慣があります。サン=サーンスやドビュッシーが文学や絵にくわしかったのも、ラヴェルに芸術家の友だちが多かったのも、そのためです。 みなさんも、音楽はもちろん、本を読よんだり美術館に行ってみたりしてはどうでしょうか。そしてもし、ドビュッシーたちも見た、モネや、マネや、ルノアールや、セザンヌや、ロートレックの絵を見る機会があったら、きょう聴いた音楽のことも思い出してみてください。音楽の中に聴こえていた、色彩や、光や、影や、薫り、そして牧神や、ダフニスたちの踊りが、絵の中からも聴こえてくるのに、きっと気づくことでしょう。 |
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