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2007年12月8日(土) |
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■サン=サーンス:『動物の謝肉祭』から「白鳥」 |
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カミーユ・サン=サーンス(1835-1921)は、いまから100年ほど前に活躍したフランスの作曲家です。サン=サーンスの生まれた年と、なくなった年を見てみてください。とても長生きでしょう? 彼は、音楽の歴史の中で、いってみれば古い時代と新しい時代とを結ぶ「かけはし」となった人物なのです。
きょう聴いていただく「白鳥」は、物の謝という作中の曲。謝肉祭(カーニヴァル)とは、キリスト教の国々の春の祭です。キリストが死からよみがえったことを祝う、「復活祭(イースター)」という大きな祭がありますが、その祭の前の約1ヶ月間、むかしは断食(食事をしないこと)をする習慣だったのです。だったらその前に、大好きなお肉をおなかいっぱい食べて、楽しく遊ぼうじゃないか!.というのが「謝肉祭」です。仮面をつけておどったり、歌ったり・・・とにかくおおさわぎ。
『動物の謝肉祭』では、たくさんの動物たちも謝肉祭に参加します。ライオン、ニワトリ、ロバ、カメ、ゾウ、カンガルー、ウサギ、鳥たちや魚たち、そしてなぜか「ピアニスト」も。
みんながワイワイと楽しくさわいでいる中で、「白鳥」がすべるように登場し、優雅に水の上の舞をくりひろげます。 |
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■モーツァルト:歌劇『魔笛』から「俺は鳥刺し」 |
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ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-91)は、オーストリアのザルツブルクというところで生まれ、音楽の町ウィーンで活躍しました。サン=サーンスとは反対に、モーツァルトは35歳の若さでこの世を去りました。けれどもその短い一生の間に、たくさんのすばらしい作品を書いたのです。『魔笛』は、彼がなくなる直前に書いた作品のひとつです。
王子タミーノは、狩のとちゅう、山でおそろしい大蛇におそわれ、気を失ってしまいます。
そこは、夜の女王の宮殿の前でした。女王のめしつかいたちに助けられたタミーノが目をさますと、なにやらおかしな歌声が聞こえてきます・・・。やがて姿を現したパパゲーノは、体に鳥の羽をいっぱいつけて、まるで大きな鳥のよう。背中のカゴには、たくさん小鳥が入っています。いったいこの人は何者なの?パパゲーノの歌を聴いてみましょう。 「そうとも、おいらは鳥刺し、かりゅうどさ!陽気にハイザ、ホプササ!おいらはなにしろ有名人。こどもだって、年よりだって、みんながおいらを知ってるぜ。笛を吹くのもうまいんだ。鳥はみんなおいらのものさ。あとは、かわいい女の子をつかまえる網があったらいいのにな。そしたら何ダースもつかまえて、一番好きな子にゃ、あまーいおさとうをあげるんだ」。
タミーノとパパゲーノは友だちになり、夜の女王にたのまれて、女王の娘パミーナをさがしにいくことになります。でも、このパパゲーノ、陽気なのはいいけれど、すぐにつかれた、おなかがすいたと文句を言うし、いざとなるとこわがってしまってたよりになりません。こんな人をお供にして、タミーノはだいじょうぶでしょうか。 |
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■ビゼー:歌劇『カルメン』から「闘牛士の歌」
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フランスの作曲家、ジョルジュ・ビゼー(1838-75)の書いた『カルメン』は、スペインのセビーリャという町が舞台です。カルメンは、とても美しく、気の強い女性。その黒いひとみに、だれもが夢中です。兵士のドン・ホセも、婚約者がいるにもかかわらず、カルメンに恋をしてしまいます。彼女もホセが好きなようです。ホセは、けんかで逮捕された彼女を逃がし、自分も彼女といっしょに盗賊たちの仲間になってしまいます。しかしカルメンはホセをうらぎり、こんどは闘牛士のエスカミーリョの恋人になってしまいます。そんなカルメンを見て、しっとに燃えるホセ、やがて、大変な悲劇にまきこまれていくのです。 「闘牛士の歌」は、人気者のかっこいい闘牛士エスカミーリョの歌。彼が酒場に集まった人々を前に歌うと、人々もそれに声を合わせます。
「さあ、みんな乾杯しよう。私たちはみな、戦いに命をかける男たち。仲間じゃないか。闘牛場は満員。人々はかたずをのんで、今か今かと戦いを待っている。傷ついて興奮した牛が、すごい勢いでおそいいかかる!人々の叫び!闘牛場は血の海だ!さあ、闘牛士よ、いまこそお前の出番だ!さあ、かまえろ、闘牛士!恋がお前を待って
いるぞ!」 |
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■バーンスタイン:ミュージカル『キャンディード』から「華やかに着飾って」 |
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レナード・バーンスタイン(1918-90)は、アメリカの作曲家です。彼は、オーケストラを心から愛する指揮者でもありました。オペラ、ミュージカル、バレエ・・・。生き生きとした歌やダンスの音楽をたくさん作曲したバーンスタインは、オーケストラの魅力をこどもたちに知ってもらいたいと思い、この「こども定期演奏会」のような音楽会を開いて、おおぜいの人々を楽しませました。この『キャンディード』は、有名な『ウエスト・サイド・ストーリー』と同じころに書かれた作品です。
主人公のキャンディードは、ものごとを何でも良いほうに考える人。彼には、この世に悪いことが起きるなんて、まったく信じられません。けれどもやがてそんなキャンディードにも、つぎつぎにわざわいがふりかかってきます。戦争で恋人を失ったり、大地震におそわれたり、殺されそうになったり・・・。この世のたくさんの悪と悲しみを見て、キャンディードはついに、夢ばかり見ていてはいけない、しっかりと地に足をつけて働き、力強く生きることが、本当の幸せなのだと気づくのです。
「華やかに着飾って」は、キャンディードの恋人クネゴンデが歌う歌です。クネゴンデは、戦争のためにキャンディードとはなればなれになり、身も心もボロボロに傷ついて、パリに逃げていきます。そこで、傷ついた心をかくすかのように、豪華なドレスや宝石で着かざってくらしていたのです。しかし、彼女の心はそんなことでは休まりません。クネゴンデは、心の中のやるせない気持ちを吹き飛ばすかのように歌います。「華やかに着飾るのが私の仕事。ここは恋の都パリなんだから。ざんこくな運命のいたずらで、私は生き残ってしまった。清らかな娘だったのに、身も心もけがれてしまった。こんなはずじゃなかったのよ。ああ、この悲しみはだれにもいやせない・・・。でも、うかれてさわのもいいじゃない。豪華なシャンパンに、キラキラ光る宝石に、すてきなドレス!ああ、こんなもので、私の恥がかくせるわけはない。でもいいじゃない。めそめそ泣くのはやめるわ。悲しみは心の中にしまって、胸を張って生きるのよ!ハハハハハ・・・!」 |
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■モーツァルト:歌劇『魔笛』から「復讐の心は地獄のようにわが胸に燃え」 |
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王子タミーノに、夜の女王は、悪者につれて行かれた娘のパミーナをとりもどしてほしいとたのみます。タミーノはパパゲーノとともに敵の城にのりこみ、ついにパミーナを見つけ出します。けれどもおどろいたことに、そこにいたザラストロは、悪者どころか、神に仕える立派な人でした。夜の女王は、タミーノをだまして、ザラストロから宝物をうばおうとしていたのです。それに気づいたタミーノは、ザラストロたちの仲間に入る決心をします。ザラストロは、タミーノとパミーナがたがいに愛し合っているならば、試練(人がきたえられるために必要な苦しみ)を受けなければならない、と言います。二人は勇気を出して、その試練に立ちむかいます・・・。 いっぽう、悪だくみがばれた夜の女王は、パミーナの前に現れ、「王子は役立たずだ。
こんどはお前がザラストロを殺して、宝物を取りもどせ!」と叫びます。そして、「そんなことはできません!」というパミーナに向かって歌います。
「私の心は怒りに燃えている。お前がザラストロをたおさないと言うのなら、お前はもう私の娘ではない!お前と私の親子のきずなは、もうおしまいだと思いなさい!さあ、母のこの、のろいの声を聞きなさい!ザラストロをたおすのだ!」 |
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■アンダーソン:ワルツィング・キャット
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リロイ・アンダーソン(1908-75)は、アメリカのボストンやニューヨークで活躍した作曲家です。彼は、音楽の好きな人々が気がるに音楽を楽しめるように、まるでポップスのような楽しい曲をたくさん書きました。『そりすべり』や『シンコペーテッド・クロック』など、ついメロディを口ずさんだり、リズムに乗って体を動かしたりしたくなるような曲ばかりです。
この『ワルツィング・キャット(ワルツをおどる猫)』も、アンダーソンらしい、かわいくて楽しい音楽です。庭でじゃれあっている猫たちのすがたが、目にうかぶようですよね。 |
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■チャイコフスキー:バレエ音楽『白鳥の湖』から「グランド・フィナーレ」
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| ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-93)の祖国ロシアは、むかしからバレエのさかんな国として知られています。この『白鳥の湖』は、『くるみ割り人形』や『眠りの森の美女』とともに、今でも世界中の劇場で上演される有名なバレエ作品です。きょうは王子ジークフリートの成人のお祝いの日。城をぬけ出した王子は、夜の湖に狩に出かけます。月の光にかがやく湖で、王子が一羽の白鳥をねらって弓をかまえた時、なんと白鳥は、美しい女性に姿を変えたのです。それは、悪魔にのろいをかけられた、オデット姫でした。「姫を心から愛する者だけが、のろいをとくことができる」と聞いた王子は、オデットに永遠の愛をちかいます。しかし、翌日の舞踏会に現れた悪魔の娘、黒鳥のオディールを、王子はオデットとまちがえて、結婚を申し込んでしまったのです。まちがいに気づき、ゆるしを求める王子を、オデットは深く悲しみながらもゆるします。せまり来る悪魔の手をのがれて湖に身を投げた二人の魂は、白鳥たちに守られ、天に上っていくのでした…。 「グランド・フィナーレ」は、この物語の最後の場面。有名な「白鳥のテーマ」が力強く響きわたります。 |
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音楽の中の動物たち |
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音楽の中には、山や海などの美しい自然の風景だけでなく、たくさんの動物たちも登場します。というのも、ヨーロッパはむかし、いちめんの深い森や、沼地におおわれた場所でした。森や沼地の生き物たちは、いまよりずっと身近な存在でした。人々は、彼らのようすやふるまいを、とてもよく観察していたのです。野生の動物は、人間にとっておそろしい存在ですが、それでも神様の作ったすばらしい贈り物だと考えられていたからです。それに、オーケストラで使う太鼓の皮や、弦楽器の弦、それに角笛やバッグパイプのように、動物たちはときには「楽器」になって、人間とともに音楽をかなでてくれました。 やがて、森や沼地がどんどん切り開かれて、大きな町が作られるようになると、自然は身の回りからすがたを消していきました。そこで人々は、なつかしい森や野生動物たちのすがたを、芸術の中に描いておこうと考えたのです。
たとえば、有名なヴィヴァルディの『四季』の中には、春をつげる鳥たちの歌声や犬の鳴き声が出てきます。19世紀のマーラーという作曲家の書いた曲の中には、鳥だけでなく、山に放牧された牛たちも登場します。また、20世紀の作品では、鳥の鳴き声を録音して、それをそのまま曲の中で流したりすることもあります。フランスの作曲家メシアンのように、スケッチブックを持って森に出かけ、音で鳥の鳴き声をスケッチした人もいます。 たしかに、動物たちの鳴き声は、まるで話したり、歌ったりしているようですよね。じゃれあったり、けんかしたりしているようすは、人間そっくりじゃありませんか。サン=サーンスの『動物の謝肉祭』や、ロシアのプロコフィエフという人が書いた『ピーターと狼』、チェコのヤナーチェクが書いた『りこうな女狐の物語』は、人間のような動物たちのすがたを、ユーモアたっぷり描いています。そんな動物たちには、人間の心も通じると人々は思ったのでしょうか。
高い空を飛んでいく鳥たちに、遠いふるさとへの思いや、亡くなった人への思いをたくすこともあります。きょうの曲目にも出てくる白鳥は、そんな人々の気持ちを表わすものとして、音楽の物語によく登場します。 |
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