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2006年12月9日(土) |
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■ウェーバー作曲 オペラ『魔弾の射手』序曲 |
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カール・マリア・フォン・ウェーバー(1786 - 1826 )は、ベートーヴェンとちょうど同じころに活躍した作曲家。彼は、ドイツの古い民話や、民謡のメロディをもとにオペラを書きました。お聴きいただくこの『魔弾の射手』は、ドイツでもっとも親しまれている作品です。
物語の舞台は、ボヘミアの深い森。明日は射撃大会だというのに、若いかりゅうどのマックスは、的をはずしてばかりです。あせるマックスに、ライバルのカスパールがささやきます。夜、狼谷に来い。ぜったいに勝つ方法を教えてやる・・・。そして不気味な狼谷でマックスが手に入れたのは、悪魔ののろいのかかった銃弾でした。マックスはその弾を使い、つぎつぎと的に命中させていきます。けれども最後の一発、白い鳩をねらったはずの弾は、なんと恋人のアガーテに向かってしまいます・・・!
お 聴きいただく「序曲」は、オペラのはじまりの音楽です。霧に包まれた深い森。そこにうごめく魔物や、けものたち。かりゅうどたちの声・・・。まるで絵本のページを開いた時のように、音楽の中から、おとぎばなしの世界がうかびあがってきます。 |
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■J.S.バッハ作曲 管弦楽組曲第2番ロ 短調より序曲、ポロネーズ、バディヌリ |
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ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685 - 1750 )は、今から300 年ほど前の時代に活躍した作曲家。彼が一番長く暮らしたのは、ドイツ東部の町、ライプツィヒです。町の教会のために音楽を作曲し、演奏するのがバッハの仕事でしたが、その仕事のほかに、バッハは自分でオーケストラを指揮して、町の人たちのために毎週演奏会を開いていました。オーケストラのメンバーは、ライプツィヒに住むプロの音楽家や大学生たち。そして演奏会場は、町のコーヒーハウスでした。この演奏会で、バッハは自分がほんとうにやりたい音楽を、思うぞんぶん演奏することができました。きょう聴いていただく『管弦楽組曲』も、このコーヒーハウスの演奏会でバッハが指揮した作品だと言われています。
『組曲』とは、いくつもの曲がつながって、ひとまとまりになった作品のこと。きょうは、「序曲」と、フルートのソロが活躍する「ポロネーズ」と「バディヌリ」を演奏します。 |
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■ワーグナー作曲 楽劇『ワルキューレ』から「ワルキューレの騎行」 |
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リ ヒャルト・ワーグナー(1813 - 83 )も、有名なオペラの作曲家です。こどものころからウェーバーのオペラが好きだったワーグナーは、自分もまた、彼のようなオペラを書きたいと思っていました。しかも、だれも見たことのないような、とてつもないオペラを・・・。そんなワーグナーが書いたのが、『ニーベルングの指環』というオペラでした(ワーグナーは音楽のドラマ、という意味で「楽劇」と呼んでいます)。これは、『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々のたそがれ』という4 つの物語からなっています。ふつうオペラといえば、一つの作品の長さは3 時間くらい。けれどもこの『ニーベルングの指環』は、全部演奏するとなんと4 日もかかる作品なのです。
『ニーベルングの指環』は、ドイツや北欧などに古くから伝わる有名な伝説を題材にしています。ライン川の底に眠る黄金を手に入れたものは、世界を支配することができる??この言い伝えをめぐって、神々とニーベルング族、そして巨人族がはげしく争っていました。負けそうになった神々は、人間を味方につけようとします。はたして神々の期待どおり、英雄ジークフリートが、ラインの黄金でできた「指環」を手に入れるのですが・・・。
お聴きいただくのは、2 日目に上演される『ワルキューレ』の物語から。ワルキューレとは、戦争で命を落とした英雄たちを神々の城につれていく「いくさおとめ」のことです。音楽は、馬に乗って天をかけまわりながら歌う、いさましいワルキューレたちの姿を描いています。 |
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■ワーグナー作曲 楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』前奏曲 |
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『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は、むかしのドイツの人々の生活を題材にしたオペラ(楽劇)です。ドイツには、1000 年も前の時代から、物を作る職人たちの組合がありました。そのリーダーが「マイスター(親方)」と呼ばれる人々です。マイスターになるには、ただ技術があるだけではだめで、数学や天文学などたくさんの知識があり、芸術にもすぐれていて、そのうえみんなから信頼される立派な人物でなければなりません。マイスターは、音楽家や詩人であることも多く、ことにすぐれた歌を歌うことのできる「マイスタージンガー(ジンガーは「歌手」の意味)」は、みなの尊敬の的でした。
この作品は、南ドイツのニュルンベルクを舞台にした物語。若い騎士のヴァルターは、愛するエーファのため、町のしきたりどおり歌合戦に挑戦することになります。芸術を愛する誇り高いマイスタージンガーたちの見守る中で、神聖な歌合戦が始まります・・・。 |
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■ベートーヴェン作曲 交響曲第7 番イ 長調より第2 楽章 |
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ル ートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770 - 1827 )は、オーケストラの歴史を大きく変えた作曲家でした。オーケストラでもオペラのようなドラマが作れること、いやそれどころか、オーケストラには、オーケストラにしかできない、特別な音楽の世界があること、それを示したのがベートーヴェンでした。
「交響曲(シンフォニー)」とは、弦楽器、管楽器、打楽器などのさまざまな楽器が合わさって、一つの「ハーモニー」をつくりあげる音楽のこと。ベートーヴェンは、楽器の音色、そしてメロディやリズムなど、音楽のすべての要素を一つに溶かし合わせて、すばらしいハーモニーを生み出します。ベートーヴェンのあとに生まれた作曲家たちは、みな、彼の交響曲を勉強し、お手本にして、自分の音楽を作っていったのです。この『交響曲第7 番』も、歌のようなメロディと、心おどるリズムがあふれる作品。「第2 楽章」は、あのワーグナーも好きだったという、美しい音楽です。 |
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■R.シュトラウス作曲 交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』 |
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リヒャルト・シュトラウス(1864 - 1949 )は、オーケストラによって描かれる音楽の物語――「交響詩」を書いたことで知られる作曲家です。きょうお聴きいただくのは、ドイツの古い民話を題材にした『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』。ティルは、人をからかうのが大好きないたずら者です。
物語を語り始めるのは、ホルンです。「むかしむかし、ひとりの陽気な道化ものがおりましたとさ。その名は、ティル・オイレンシュピーゲル!」。音楽の中で、ティルは、私たちをだまそうとして、いろいろな姿に変装して出てきます。そして最後にとうとうつかまって、いたずらのばつとしてしばり首になってしまいます。けれどもどっこい、そこはティルのこと、たとえ死んでしまっても、いたずらだけはやめないのです・・・。 |
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■フルート 相澤政宏 Masahiro Aizawa,flute |
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| 1989 年東京音楽大学3年在学中に弱冠20歳で東京交響楽団に入団する。91年日本フルートコンベンションコンクール第3 位入賞。95 年同楽団首席奏者に就任し、以来、モーツァルト「協奏交響曲K297b 」(H.スダーン指揮)、モーツァルト「フルートとハープのための協奏曲K299 」(大友直人指揮)など、東京交響楽団とはソリストとしても共演を重ね好評を博している。97 年在京オーケストラの首席奏者4 名で「ザ・フルート・カルテット」を結成。2004 年には津田ホールで初のリサイタルを行い、好評を博した。現在、東京交響楽団首席フルート奏者、日本フルート協会理事、東京音楽大学非常勤講師。 |
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音楽の国めぐり(3)
― ドイツ
――ベルリン、ミュンヘン、ライプツィヒ、ドレスデン |
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今年2006 年は、ドイツでサッカーのワールド・カップが開かれた年。みなさんも、テレビでドイツの町や人々を見たのではないでしょうか。ドイツが現在のような一つの国になったのは、今から15 年ほど前のこと。それまでは、「西ドイツ」と「東ドイツ」という2 つの国でした。さらにむかしのバッハの時代、または『魔弾の射手』や『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の物語の時代には、ドイツはもっとたくさんの国に分かれ、おおぜいの王や貴族たちがそれをおさめていました。今でも各地に残っている美しい城の数々は、そのなごりです。
ドイツには、地方によって、町によって、まったくちがう文化があります。北と南、東と西では、町の景色も、気候も、方言も、宗教も、生活習慣もちがいます。けれども広い国土のあちらこちらに、たくさんの美しい森や、「ライン」や「ドナウ」や「エルベ」などの大きな川があり、その豊かな自然が、オペラの題材としても知られる数多くの民話・伝説をはぐくんできました。またドイツでは、どの町にもかならずと言っていいほどその町のオーケストラがあり、音楽の伝統を作ってきました。『魔弾の射手』がはじめて上演された町でもある首都ベルリンは、ウィーン・フィルとならぶ世界最高のオーケストラ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地です。有名なオペラハウスのあるドレスデンは、ウェーバーや、若いころのワーグナーが活躍した町。またおなじ東ドイツのライプツィヒは、バッハが人生の半分をすごした町です。以前の西ドイツの首都ボンは、ベートーヴェンの生まれたところ。この町の自由な雰囲気は、彼の音楽家としての人生に大きな影響を与えました。そして南ドイツのミュンヘンは、有名な指揮者でもあったリヒャルト・シュトラウスのふるさとです。彼の父はこの町のオーケストラのホルン奏者。シュトラウスはこどものころいつもお父さんといっしょに劇場に行き、オーケストラの練習を食い入るように見ていました。やがて彼自身も指揮者になり、ミュンヘンの町から、世界中のオーケストラへとはばたいていったのです。それぞれの町で生まれた音楽の中に、こうした歴史や、町が育てた音楽家たちのおもかげを感じとってみるのも、おもしろいかもしれません。
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音楽の国 |
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第3回ドイツ編
篠崎 隆さん(東京交響楽団オーボエ奏者)
サッカーのワールド・カップで注目を集めたドイツは、ベルリン、ミュンヘンなどの大都市だけでなく、小さなまちにもオペラハウスやコンサートホールがあり、人々が生活のなかで音楽を楽しんでいる国です。ドイツに留学してオーボエを学んだ篠崎さんに、ご紹介いただきました。 |
――――ドイツに留学されたのはいつですか?
1986 年に文化庁から派遣されて、ハノーヴァーとベルリンに1 年間留学しました。帰国後も10 年間、1 年に2 週間ずつベルリンに行ってレッスンを受けていたので、のべ2 年間くらい過ごしたことになると思います。
86 年は、ベルリンにまだ「壁」があり、西ベルリンと東ベルリンに分かれていた時代です。89 年の“ベルリンの壁崩壊”以降、東欧をはじめ外国人が大量にベルリンに住むようになったため、その後訪れたらまったく違う国のようになっていて驚きました。
留学先にドイツを選んだのは、なんといってもドイツ音楽が、オーケストラの基本レパートリーだからです。基礎を本場で勉強したいと思ってドイツに行きました。
――オーボエを始めたきっかけは何ですか?
本格的に勉強を始めたのはとても遅くて高校3 年のとき。それまで趣味でフルート、クラリネット、ドラムなどいろいろやっていたのですが、3 年になってオーボエのレッスンを受け始めました。大学、大学院を出て、東京交響楽団に入ることができたのですが、もう少し幅広く経験を積んでみたいと思い、ドイツに留学することにしました。
――ベルリンは有名な音楽都市で、たくさんのオペラ、コンサートが行われていますね。
オペラハウスが3つ、オーケストラが7つくらいありました。オペラは当時、学生は5マルク(約500円)で聴けたんですよ。私はベルリン・ドイツ・オペラのすぐ近くに住んでいたので、どんな演目でもほとんど毎日のように聴きに行っていました。ベルリン・フィルは、当時カラヤンが音楽監督で、チケットをとることができないほどの大人気でした。
――ドイツではどんなことを学びましたか?
私は幸いにも、ベルリン・フィルの首席オーボエ奏者、シェレンベルガー氏につくことができ、ベルリン・フィルの本拠地、フィルハーモニーの楽屋まで通いレッスンを受けました。それまで日本でのレッスンは楽器をどう扱うかということに焦点があてられていましたが、シェレンベルガーから教わったのは、「こういう音楽をしなければならない」ということ。方法論よりもまず「音楽」。そして、「そういう音楽を実現させるためにどうしたらいいのか、自分で発見しなさい」というレッスンでした。それによって次第にどのように楽譜を読むのか、どういうふうに歌うべきか、音楽の根底に流れるものは何なのか、そういうことを考えて練習するようになりました。ほかの楽器や歌もたくさん聴くようになり、室内楽も数多く演奏しました。このような経験がとても勉強になり、今現在の私につながっていると思います。
――ドイツ語は大変ではありませんでしたか?
日本で勉強していったのですが、ドイツでも月曜日から金曜日まで朝9 時から12 時まで語学学校に通いました。そして午後にレッスンか室内楽、そして夜はオペラかコンサートという日々でした。これではまるで毎日勉強ばかりしていたように聞こえるかもしれませんが、本当は違います(笑)。音楽と関係ないこともたくさんしました。たとえばどんなレストランがたくさんあるか、あちこち食べ歩いたりしました。意外なことにドイツにはギリシャ料理店とトルコ料理店が多いんです。それからベルリンのバスを全部乗ってみる、ということもしました。でも、すぐ壁にぶちあたって終点になってしまうんですよ、おかしいでしょう!美術館にもたくさん行きましたし、旅もあちこちしました。
――ドイツ人のお友だちはできましたか?
一番仲が良くなったのは、趣味でフルートを吹く建築家で、彼とはいまでも付き合っています。ドイツ人はまじめで親切ですよね。おせっかいなくらい(笑)。立ち止まっていると、「なにかわからないのか」と聞いてくれる。ドイツのおじさん、おばさんたちは外国人に道をよく聞きます。僕も何回も聞かれました。スーツケースを引きずって、「いまドイツに到着したばかりです」という格好をしていても聞かれる。あれは不思議だなあと今でも思っています。
――ドイツで一番楽しかったことは何ですか?
たくさんあってむずかしいですが、やっぱりクリスマスでしょうか。フランスや他の国のクリスマスも素敵ですが、ドイツのクリスマスは世界一だと思います。町中がイルミネーションで彩られて、ほんとうにきれい。ドイツの人たちは1 か月かけてお祝いするので、12 月に入ると国中がクリスマス一色になります。あちこちの広場に、装飾品や食べ物を売るクリスマス・マーケットが出る光景は、ドイツの冬の風物詩ですね。広場でみんなが楽しむグリューヴァイン(香料の入った暖かい赤ワイン)もクリスマスの名物です。デパートはプレゼントを買う人でごったがえし、争奪戦のような騒ぎになります。そういうお祭りを経て、いよいよ本番の25 日は、みな実家に帰り、家族と一緒に静かにお祝いします。電車も止まり、みないなくなってしまうので、留学生の僕らは少し寂しい思いをしました。でも2 回ほど、教会のクリスマス礼拝で演奏をしたのは楽しい経験でした。ドイツの人は、小さいときから教会でオーボエを聴いているため、オーボエという楽器はなじみのある楽器なんです。
――ドイツでは楽器を習っているこどもは多いですか?
日本ほど多くないと思います。どの家庭にも一台ピアノがあると思われがちですが、そうでもないのです。でも一度、友人が教えていたこどもの音楽教室の発表会に行ったことがあるのですが、なんとびっくり、有料のコンサートなんです。3 マルク(約300 円)くらいなのですが、こどもたちもみんな正装して、チケットを買って聴きに来ている。このように、小さいときから、“かたちのないものにお金を払う”習慣を身につけているのは大切なことだと思いました。
ドイツではホームパーティがよく開かれていて、そこでも時々演奏しました。家全部を開放してお客に料理をふるまい、みんなで語り合うということがよく行われていました。
ドイツ人は流行に左右されない国民性なので、「みな同じ」ということが少ないと思いました。「壁」の崩壊以降、ベルリンはますます多様になっていると思います。みなさんも訪れる機会があったら、いまのドイツを感じてみてください。 |
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オーケストラ質問箱 〜Q&A〜
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Q. こどもがたくさんいる演奏会と、普段のコンサートは、演奏するときの気持ちは違いますか?(小池優美子さん8 歳)
A. 基本的には、どの演奏会でも常に同じ気持ちを持ち最高の演奏をできるようにと思っています。でも、「こども定期演奏会」の場合は、みなさんにとって生まれて初めて聴く機会となる曲が特に多いと思いますので、いつもにも増して"曲の魅力を伝えられるように、皆さんに美しい曲を知ってもらいたい"という思いを強く持っています。(大友直人)
Q. 大友さんは小さい頃は何の曲が好きでしたか?(森嶌和正さん 9 歳)
A. 私は小学生の頃、たくさんの作曲家や曲に興味を持つようになり次から次へと色んな曲を聞いていました。ドヴォルザークの「新世界」も好きでしたし、チャイコフスキーの交響曲を聞いた時期もありました。それからもちろんベートーヴェンも。マーラーをたくさん聞いたのも小学生でした。マーラーは交響曲に興味があって、1 番や3 番や2 番などをよく聴きました。最初はレコードが好きで家で聞いていたのですが、親にコンサートホールに連れて行ってもらうようになり、次第にひとりでいくようにもなりました。(大友直人)
Q. 大友さんは小学校では何の科目が好きでしたか?
(内野優花さん 9 歳・ 山下ももかさん 8 歳)
A. 絵を描くのが好きだったので図画工作が好きでした。それから体を動かすことも大好きだったので、体育もすきでしたよ!(大友直人)
Q. 楽団員さんは、演奏会がある日はどのように過ごしますか?
(坂田雅佳さん 12 歳)
A. 本番の日は、朝起きてからずっと、コンサートホールに向かう電車の中でも、演奏する曲のイメージを体の中に持っています。どういう音色や響きをつくろうかと考えながら過ごし、そしてその気持ちをステージでの演奏につなげます。打楽器の場合は楽器のセッティングや準備が重要ですので、十分な余裕をもって本番に向かいます。(遅刻は絶対に許されません!)その日の天気や湿度によって楽器の状態が変わりますので、皮を調整したりしてベストな状態で本番に臨めるように入念に準備をします。最高の音楽を作るためにいつも「耳」と「目」と「皮膚」の感覚を研ぎ澄ましています。(打楽器:天野佳和)
Q. テューバは一回に吹く量が多いと思いますが、つなげて吹くのは苦しくないですか?どうやって大きい音をだすのですか?
(原田祥央子さん 10 歳)
A. 演奏するとき、一回に息を使う量は多いです。長く吹くのは他の管楽器と比べると大変ですが、特別に肺活量が多くないと吹けないというわけではありません。二つめの質問の答えにも通じるこたえですが、楽器のよく鳴るツボ(よく響くポイント)を探して、そこを吹くことにより、すくない息で大きな音が出るようにしてます。もちろん小まめに息もとります。(テューバ:渡辺 功)
Q. 金管楽器の方は、楽器をふいているとつばがたまるのですか?時々楽器をひっくり返していますが、何をしているんですか?
(宇佐美友彬さん 7 歳)
A. あれは、水分を抜いているんですよ! よく「つば」だと思われていますが、正確にはつばではありません。金管楽器は、息を吹き込んで演奏する楽器です。息は暖かいので、管の中を通るうちに冷えて水滴になるんです。その水滴がたまるといい音が出なくなってしまうので、私達はときどき楽器をさかさまにして水分を楽器からぬいています。(トロンボーン:荻野昇)
Q. チェロのベアンテ・ボーマンさんが、チェロを選んだきっかけは何ですか?チェロを弾いていて楽しいことや大変な所は何ですか?
(宮本友里子さん 11 歳)
A. 私は小学生の頃、リコーダーのクラブに入っていたのですが、弦楽合奏部にチェロの生徒が不足していたため、先生に「チェロをやってみない?」と勧められて始めました。だから、自分でチェロを選んだ訳ではないんです。でも始めたらとても楽しくて、大好きになりました。新しい曲に取り組むことがとても楽しいです。色んな発見や新しい世界があり、いつもワクワクします。小さな頃は、夏休みにチェロの講習会に参加することが私の楽しみでした。音楽をやっている同じ年代の友達と集まり、合宿のように過ごして音楽漬けの日をすごしました。大変だったのは、20 歳の時にドイツに留学して新しい先生(トゥルトゥリエ氏)についたときです。それまで身に付いていた私のチェロの弾き方をすべて直され、初めから習い始めたような状態になり、右手も左手も使い方が分からなくなってしまいました。でも先生に厳しく指導していただいたおかげで正しい奏法が身に付き、今の自分があるのだと思います。(チェロ:ベアンテ・ボーマン)
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