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プログラム・ノート
   
プログラム 2006年7月22日(土)
 
第18回アメリカ〜ニューヨーク・ボストン・ニューオリンズ
バーンスタイン:『キャンディード』序曲
アンダーソン:舞踏会の美女
アンダーソン:ジャズ・ピッチカート
ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー
ピアノ:伊藤 恵
 
コープランド:市民のためのファンファーレ
バーバー:弦楽のためのアダージョ
グローフェ:組曲『グランド・キャニオン』から「山道を行く」
ジョン・ウィリアムズ:『スター・ウォーズ』から「王座の間」「エンド・タイトル」
 
 プログラムノート 有田 栄(音楽学)
   バーンスタイン作曲 『キャンディード』序曲
 
レナード・バーンスタイン(1918 〜90 )は、作曲家であるとともに、オーケストラを心から愛する指揮者でした。彼が活躍したのは、アメリカの芸術の中心地、ニューヨーク。この街でバーンスタインは、オーケストラを指揮したり、たくさんのミュージカルやバレエの作品を作曲したりしていました。バーンスタインの書いた生き生きとした歌やダンスの音楽は、今でもまったく色あせることがありません。
『キャンディード』は、映画にもなった有名な『ウエストサイド・ストーリー』と同じころに書かれた作品で、ニューヨークではなくボストンで上演されました。
主人公のキャンディードは、ものごとを何でも良いほうに考える人。彼はいまとても幸せで、この世に悪いことがおきるなんて、まったく信じられません。やがてキャンディードには、つぎからつぎへと、わざわいばかりが降りかかってきます。恋人を失ったり、火あぶりになりそうになったり、大きな地震におそわれたり。この世のたくさんの悪と悲しみを見て、キャンディードはついに、夢ばかり見ているのではなく、しっかりと地に足をつけて働き、力強く生きていくことが、本当の幸せなのだと気づくのです。きょうは、この陽気で幸せなキャンディードの姿を描いたような、「序曲」をお聴きいただきます。
 
   
   アンダーソン作曲 舞踏会の美女/ジャズ・ピッチカート
 
リロイ・アンダーソン(1908 〜75 )も、バーンスタインとおなじく、ボストンやニューヨークで活躍した作曲家です。彼の曲は、クラシックというよりはポップスのような、楽しいものばかりで、ついメロディを口ずさんだり、リズムに乗って体を動かしたりしたくなります。『そりすべり』や『ワルツィング・キャット』、『シンコペーテッド・クロック』など、みなさんも聴いたことがあるのではないでしょうか。今日は、すてきなダンスのリズムにのった『舞踏会の美女』、そしてかろやかな調子の『ジャズ・ピッチカート』をお聴きいただきます。
 
   
   ガーシュウィン作曲 ラ プソディ・イン・ブルー
 
「ジャズをコンサート・ホールに持ちこんだ男」――そう呼ばれたのは、ニューヨーク生まれの作曲家、ジョージ・ガーシュウィン(1898 〜1937 )でした。ニューヨークの下町でピアノを弾いて働いていたガーシュウィンが、人気バンドのポール・ホワイトマン楽団のために書いたのが、この曲です。もともとはジャズ・バンドとピアノで演奏するのですが、あとからオーケストラとピアノのために編曲(音楽をほかの楽器のために作り直すこと)されて、今日聴いていただくような、すばらしいコンチェルト(ソロとオーケストラが対話をするように演奏する曲)になりました。
はじまりの部分の、クラリネットのメロディは、ふつうのクラシックの曲とはちがって、とても不思議で、でもおしゃれなふんいきがあると思いませんか。これは、「ブルー・ノート」というジャズ独特の響きです。曲のまん中の部分には、とてもロマンティックなメロディも登場します。
   ピアノ 伊藤恵 Kei Itoh,piano
 
幼少より有賀和子氏に師事。桐朋学園高校を卒業後、ザルツブルク・モー ツァルテウム音楽大学、ハノーファー国立音楽大学卒業。名教師ハンス・ラ イグラフ氏に師事。1979 年エピナール国際コンクール第1 位、1980 年J.S.バ ッハ国際音楽コンクール第2 位、クルト・ライマーコンクール第1 位、1981 年 ロン=ティボー国際音楽コンクール第3 位及び特別賞と数々のコンクールに入 賞。1983 年第32 回ミュンヘン国際音楽コンクールピアノ部門で日本人として 初の優勝。内外の主要なオーケストラと協演を重ねている。1993 年日本ショ パン協会賞、1994 年横浜市文化賞奨励賞受賞。2003 年より東京芸術大 学助教授。
 
   
   コープランド作曲 市民のためのファンファーレ
 
アーロン・コープランド(1900 〜90 )も、ニューヨークで生まれた作曲家です。パリで作曲を勉強した彼は、アメリカに帰ってからいつも、ふるさとのニューヨークを、パリのように新しいオペラやバレエで活気あふれる街にしたいと思っていました。この『市民のためのファンファーレ』は、コープランドが、演奏会を始めるのにふさわしい音楽を書いてほしいとたのまれて作曲した作品です。まるでこれから古代の儀式が始まるような、とてもおごそかで力強い音楽です。
 
   
   バーバー作曲 弦楽のためのアダージョ
 
サミュエル・バーバー(1910 〜81 )は、アメリカ東部のペンシルヴェニアの出身です。きょうお聴きいただく『弦楽のためのアダージョ』は、もともとはオーケストラの曲ではなく、弦楽四重奏(弦楽器4 人の合奏)のための曲でした。バーバーの作品の中でも、一番人気のある美しい作品です。『プラトーン』という映画の中で使われてから、この曲は世界中で有名になりました。これは、いまから30 〜40 年前にあった、ベトナム戦争をテーマにした映画で、戦いの中で人間らしさを失っていく人々の姿を描いたものでした。バーバーの音楽は、「戦争によって死んでいくのは、敵ではない。私たちの中の、正義や人を愛する心が死んでいくのだ」という映画のテーマをうったえているようで、映画を見た多くの人の心に深く刻まれました。
 
   
   グローフェ作曲 組曲『グランド・キャニオン』から「山道を行く」
 
ファーデ・グローフェ(1892 〜1972 )は、ニューヨーク生まれの作曲家。編曲家としても知られていて、さきほどのガーシュウィンの『ラプソディ・イン・ブルー』をジャズ・バンドやオーケストラのために編曲したのも、じつはこのグローフェでした。グローフェは、オーケストラの楽器を知りつくしていて、一つ一つの楽器の音色を、まるで絵の具のように組み合わせて、すてきな音楽の絵をかく人です。『グランド・キャニオン』を聴いていただくと、きっとみなさんもそう思われるのではないでしょうか。
グランド・キャニオンは、アメリカのアリゾナというところにある、深い谷やけわしい岩がたくさんある場所です。真っ赤な土の大地が、ゆうゆうと横たわっています。グローフェの音楽は、このグランド・キャニオンの一日を描いています。「山道を行く」は、ごつごつした山道をラバに乗って旅していく人の姿です。
 
   
   ジョン・ウィリアムズ作曲 『スター・ウォーズ』から「王座の間」「エンド・タイトル」
 
アメリカで、ニューヨークの次に大きな都市といえば、西海岸のロサンゼルス。ロサンゼルス市内に位置するハリウッドは、だれもが知っている映画の街です。そしてその「ハリウッド映画」の音楽をおそらく一番多く作曲している作曲家が、ジョン・ウィリアムズ(1932 〜)ではないでしょうか。『ジョーズ』や『スーパーマン』、『インディ・ジョーンズ』に『E.T.』、『ジュラシック・パーク』、そして最近では『ハリー・ポッター』のシリーズで、みなさんにもすっかりおなじみですね。
『スター・ウォーズ』は、今から30 年前の1977 年に生まれたSF ファンタジーです。おそろしいダースベーダー。ふたごの兄妹である、勇かんなルーク・スカイウォーカーと美しいレイア姫。ちょっとドジな楽しいロボット。それに宇宙の不思議な生き物たち。みなさんのお父さんやお母さんがたは、こどものころに、あるいは中学生や高校生のころにこれを見て、宇宙が舞台の不思議な物語に夢中になった思い出があるのではないでしょうか。
 
   
   音楽の国めぐり(2) ― アメリカ
 
ヨーロッパからはるばる海を越えて、最初の「アメリカ人」となる人々がアメリカ大陸にやってきたのは、いまから400 年ほど前のこと。日本では江戸時代のはじめごろのことです。長い歴史を持つヨーロッパの人々から「新世界」とよばれたアメリカには、ヨーロッパとはまったくちがう新しい音楽の文化が作られました。ア メリカには、世界中の国からの移民(ほかの国からやってきて、その国で生活するようになった人々)たち、アフリカ系の人たち、アメリカにもともと住んでいたネイティヴ・アメリカンの人たちなど、人種も文化もちがうたくさんの人々が暮らしています。それらの人々が一つになって、「アメリカ」という国と文化を作っているのです。
ニューヨークは、そうしたさまざまな人々が国中から集まって暮らす大都会。音楽の中心地でもあります。有名なメトロポリタン歌劇場や、アメリカ中の音楽家たちのあこがれであるカーネギーホールなどがあり、一流のクラシックの音楽家たちがひっきりなしに登場しています。また、ブロードウェイと呼ばれる地域には、演劇やミュージカルの劇場が立ちならび、多くの名作を生み出してきました。
いっぽう首都ワシントンは、政治の街ですから、音楽の街とはいえないかも知れません。それでも大統領のいるホワイトハウスの行事や、いろいろなもよおしの時には、有名な海兵隊の軍楽バンドが、規律正しく、勇ましい音楽を演奏します。この海兵隊のバンドのために作曲された曲の数々は、世界中のブランバンドの演奏曲目としても知られています。
東部の港町ボストンは、アメリカの中では古い歴史を持つ町。ここは教育や文化の街としても知られ、街の多くの人々は、以前に日本の指揮者、小澤征爾さんが指揮をしていたボストン交響楽団や、ボストン・ポップス管弦楽団などの演奏会を楽しみにしています。
そして南部の町、ニューオリンズ。ここは、20 世紀のはじめにジャズが生まれた街でもあります。去年、台風で大変な被害を受けたことをごぞんじでしょう?世界中の多くの音楽を愛する人たちが、ジャズの街のためにチャリティー・コンサートなどを行ないました。街の復興が始まったとき、人々の心を勇気づけたのもジャズでした。音楽のふるさとは、たくさんの人々の心のふるさとでもあるのです。
 
   
   音楽の国
 
第2回アメリカ編
アデル・亜貴子・カーンズさん(東京交響楽団チェロ奏者)
ジョナサン・ハミルさん(東京交響楽団首席ホルン奏者)


政治・経済大国のアメリカは、スケールもビッグ。ニューヨーク、ボストン、南部のニューオリンズ、フロリダ、またロサンゼルス、サンフランシスコなど西海岸の町々は、気候・風土の違いはもちろん、それぞれ特徴ある音楽・文化をもっています。今回の登場はサンフランシスコ出身のカーンズさんとフロリダ出身のハミルさんです。


――――故郷の町とこども時代のエピソードを紹介してください。

ジョナサン18 歳までフロリダのセントピーターズバーグSaint Petersburgで育ちました。ロシアの「サンクトペテルブルク」と綴りが同じでしょう?実際にロシアからの移民も多くいます。昔は「神様の待合室」といわれていたことがあるんですよ。なぜかというと、リタイアしたお年寄りばっかりの町だったから(笑)。でもいまは全然違って、サッカー、野球、アメフトが盛んです。タンパ・ベイに面するとても美しいビーチタウンで、1 年中あたたかく、過ごしやすいところ。観光客もたくさんいます。うちから車で30 分くらいのブッシュガーデンは「ベスト・パーク」だと思うな。ディズニー・ワールドもいいけど、もっとお薦めですよ。とにかく町全体がリラックスした雰囲気で、クラシックのコンサートもみんな普段着で気楽に楽しんでいます。

亜貴子私のホームタウンはサンフランシスコ。25 歳で日本にくるまでずっとここです。1 年中寒く、平均気温はだいたい8 度くらい。雪のない北海道という感じですね。私の母は日本人で小樽の出身だったため、北海道にも何回か行ったことがあります。母がヴァイオリンをやっていて、私も自然に習うことになりました。でももっと大きな楽器をやりたくて、10 歳の時、チェロに転向したんです。

ジョナサン僕は小さい頃はアメフト選手になりたかったんだけどね。10 歳上の兄がトランペットをやっていたので家に楽器があって、学校の授業でレッスンを始めたんだけど、ぜんぜんうまくいかなくて、クラスでワースト(一番下手な)・トランペッターになっちゃった。それでホルン・プレイヤーがいないというのでホルンを始めたんです。最初はむずかしくて大変だったけれど、だんだん練習するのが楽しくなって音楽が大好きになりました。金曜の夜、友だちはだいたい野球のゲームか映画をみにいくのに、僕だけ先生がホルンを吹いていたフロリダ・シンフォニーのコンサートに行ってたんです。サッカーもチームに入って続けていたけれど、ホルンとの両立がむずかしくなって、16 歳のときにチームをやめました。スポーツといえば、彼女はすごいアスリート(運動選手)なんだよ。

亜貴子ソフトボールとマラソンをやってました。フル・マラソンを完走したこともあります。東京にきてからは時間がなくて。いまは電車の乗り継ぎにチェロを持って走るくらい(笑)。



――日本にきて驚いたことはありますか?


亜貴子そ んなにないですね。母からいろいろ聞いていたし、何回か来たことがあったので。
ジョナサン とにかくきれいでちゃんとしていること。電車は時間どおりにくるし、どこも清潔。ニューヨークとぜんぜん違う。そういう日本のきちんとしたところ、誠実なところが好きです。

――ライフスタイルも変わったのでは?

亜貴子サンフランシスコはパーティも多かったし、学校帰りにバーに行ったり、仲間で集まる機会がもっとたくさんありました。いまは仕事が忙しいし、日本での友だちが少ないこともあるけれど、それが減ったのが少し残念ですね。

ジョナサン たしかに新しい場所で仕事をしながら友だちを作るのは大変だよね。でもこれまで知らなかった場所で生活して、新しい言葉、文化を勉強して、その土地の人とコミュニケートするというのは、誰でも経験できることではないので、すごく貴重な経験だと思う。たしかに言葉の壁は大きくて、深い会話ができないという問題はあるかもしれないけど。僕は東響に入って5 年になるけど、日本の友だちがたくさんできて、すごく楽しい(ジョナサンさんは日本語ペラペラ、漢字もかなり書けるそうです)。



――ではアメリカの音楽について聞かせてください。

亜貴子アメリカはすごく大きくて、場所によってぜんぜん違う。その多種多様なところが特徴だと思います。ジャンルもたくさんあるし、ジャズひとつとっても、ニューオリンズ、カンザスシティ、シカゴではそれぞれ違う。バーンスタインやコープランド、カーターなど20 世紀を代表する作曲家の曲も、それがイメージされた場所によってぜんぜん違って、ニューヨークだったり、アパラチア山脈だったり、アリゾナ砂漠だったり、それぞれの響きをもっている。加えて、ユダヤ、アフリカなど、ほかのいろいろなところからの影響がミックスされているのもアメリカらしいところですね。

ジョナサンで も一般的にいって、クラシック音楽はそんなに盛んじゃないよね。ごく普通の人は「フレンチ・ホルン」といってもよくわからない。

亜貴子
そうかも。チェロとギターの区別つかない人もいるくらいだから。
ジョナサン音楽の経験でいえば、日本のほうがクラシック音楽を楽しめるチャンスは多いと思う。ブラスバンドやアマチュア・オーケストラが盛んだし、プロの音楽家にならなくても、仕事をしながら趣味でトランペットを吹いて、発表会をやったりできるでしょう?アメリカは何かを犠牲にしなければ、音楽を続けていけないところがある。

亜貴子
それとこどものためのコンサートは日本より少ないですよね。私の頃はせいぜい1 年に1 回くらいでした。「こども定期演奏会」があるなんて考えられない!こういうコンサートがあったら、私も行っていたのに。なにか文化に対する強い意識が欠けているのかな。

ジョナサンうん、たしかにニューヨークはすばらしく国際的な町だけれど、「これがアメリカのカルチャーです」といえるものはないかもしれない。ブラジルの人と話をすると、彼らの文化にすごく誇りをもっているのが伝わってくるけれど、そういうアイデンティティはアメリカには薄いですね。でもアメリカ人は何にでも真剣で、他の人々や国のことを考えるのがいいところだと思う。戦争はよくないけどね。僕の大好きなグルーパ(魚)・サンドイッチもあるし、ハンバーガーやコーラのサイズもビッグだし。

亜貴子自然が美しいのと、それぞれの町が個性的なところがいいですね。サンフランシスコの食べ物のお薦めは、メキシカンのブリートかしら。



「オーケストラへの質問」を募集します!

公演プログラムから、「オーケストラQ&A」ページで、みなさんからの質問や疑問にお返事をいたします。ホールロビーに置いてある「お手紙回収箱」に入れてください。みなさんからの質問をおまちしています!
   
 
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