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プログラム・ノート
   
プログラム 2005年4月9日(土)
 
第13回 『パリ』色彩あふれるハーモニー
ベルリオーズ:序曲『ローマの謝肉祭』
サティ(ドビュッシー編曲):ジムノペディ第1番
ドビュッシー:交響詩『海』から第3曲
サン=サーンス:序奏とロンド・カプリッチョーソ
ヴァイオリン独奏:長尾春花
フォーレ:『レクイエム』から「ピエ・イェズ」
ソプラノ:森麻季
ラヴェル:ボレロ
 
音楽のまち(1) ― パリ
音楽のまちの風景
 
 プログラムノート 有田 栄(音楽学)
   ベルリオーズ:序曲『ローマの謝肉祭』
 
エクトル・ベルリオーズ(1803- 69 )は、オーケストラの歴史にとってとても重要な作曲家です。彼は、それまでオーケストラのなかでふだんあまり使われていなかった楽器――たとえばハープや、イングリッシュ・ホルン、バス・クラリネットなどを入れて、楽器の種類をふやしました。時には本物の鐘も使います。ちょうど絵の具のパレットにたくさんの色を置いて絵をかくように、ベルリオーズは、さまざまな楽器の音色を自由自在に使って、音楽の絵を描きます。また彼は、時々、舞台の上だけでなく、舞台の裏や、会場の中のあちらこちらにも演奏者を置くことがあります。すると、聴いている人は、とても遠いところから響いてくる音を想像することができたり、自分が音にとりかこまれているような感じを味わったりすることができます。ベルリオーズは、そうしたいろいろな工夫をこらすことによって、物語や情景を、音楽の中で生き生きと描くことができたのです。きょう聴いていただく『ローマの謝肉祭』は、もともとはオペラの中の一曲でした。イングリッシュ・ホルンが奏でる優しいメロディーのあと、オペラの場面にも登場する「謝肉祭」の音楽が始まります。「謝肉祭(カーニヴァル)」とは、冬の終わりに行なわれるお祭りのこと。イタリアの謝肉祭は、昔からとてもはなやかなことで有名で、ベルリオーズも実際にローマで見たのだそうです。音楽は、「サルタレッロ」という踊りのリズムで、そのようすを描いています。
 
   
   サティ(ドビュッシー編曲):ジムノペディ第1番
 
エリック・サティ(1866 - 1925 )の音楽をはじめて聴くと、「あれ?これ、クラシック音楽?」とびっくりされるかもしれません。バッハやベートーヴェンの音楽とは、まったくちがう雰囲気があると思いませんか?サ ティは、音楽は「とてもすわりごこちのよいイス」のようなものだ、と考えていました。つまり、そこにあるだけで、人のくらしを豊かにして、心にやすらぎを与えるようなもの。「さあ演奏会だ。静かに、おぎょうぎよくしなければ!」と、身がまえて、きんちょうしてしまうようなものではなく、さりげなく流れてきて、私たちをふんわりと包み、気分よくさせてくれるものだ、というのです。そんなことを考えていたサティは、人がらも、生活も、作品も、そのころにしてはとても変わっていました。けれども彼をしたって、たくさんの芸術家たちがひっきりなしに彼の家に集まっていたといわれています。『ジムノペディ』は、サティがパリの有名な酒場「黒猫」でピアニストをしていたころの作品です。この不思議なタイトルは、むかしのギリシャの踊りを意味しています。サティは、何千年も前のギリシャの壷に描かれた絵を見ていて、いろいろと想像をめぐらしていたのだそうです。もとはピアノの曲ですが、親友のドビュッシーが、オーケストラに編曲(ちがう楽器のために書き直すこと)しました。
 
   
   ドビュッシー:交響詩『海』から第3曲
 
クロード・ドビュッシー(1862- 1918 )は、もし音楽家にならなかったら、船乗りになりたかったのだそうです。海は、まるで生き物のように、いろいろな表情を持っています。朝の海、昼の海、夕方の海、そして夜の海。嵐の時の、とどろくような波の音。風がやみ、波が立たなくなる「なぎ」の瞬間の、なんともいえない静けさ。金色や、銀色や、黒や、緑や、むらさきや、燃えるようなだいだい色に変化する水の色・・・。海を愛するドビュッシーの心の中には、そうしたさまざまな海のイメージがありました。お聴きいただく『海』は、その海のイメージを、オーケストラでスケッチした絵、オーケストラの言葉でつづった詩なのです。「海の夜明けから真昼まで」「波のたわむれ」、そして「風と海の対話」という三つの部分からできていますが、きょうは、その最後の部分を演奏します。この曲が作曲されたのは、1905 年の3 月。ちょうどいまから100年前のことです。最初に楽譜が印刷された時、楽譜の表紙には、日本の葛飾北斎という人が江戸時代に描いた海の絵が使われました。
 
   
   サン=サーンス:序奏とロンド・カプリッチョーソ
 
だれもまねできないような、すばらしい演奏をする人のことを「ヴィルトゥオーゾ(名人)」といいます。いまから100 年以上前の19 世紀には、「ヴィルトゥオーゾ」と呼ばれるピアニストやヴァイオリニストたちが、たくさん登場しました。そして作曲家たちは、彼らの人なみはずれたテクニック(わざ)を、さらにかがやかせるような曲をつぎつぎに書いたのです。『序奏とロンド・カプリッチョーソ』は、カミーユ・サン=サーンス(1835- 1921 )が、そのころの有名なヴィルトゥオーゾで、スペインのヴァイオリニスト、パブロ・デ・サラサーテのために書いた作品です。じつはサン=サーンス自身も、ピアノとオルガンのヴィルトゥオーゾでした。ですから、演奏家が本当に弾きたいと思う音楽は何か、よくわかっていたのではないでしょうか。『チゴイネルワイゼン』を作曲したことでも知られるサラサーテは、手が小さかったのですが、細かい指の動きが得意で、心をふるわせるような美しい響きを奏でたといわれています。この曲は、そんなサラサーテのヴァイオリンの魅力を、たっぷりと引き出したことでしょう。
   ヴァイオリン独奏:長尾春花
 
3歳よりヴァイオリンを始め、現在、岡山潔氏、青木高志氏に師事。2001年東京交響楽団と、05 年仙台フィルハーモニー管弦楽団と共演を果たすほか、第6 回江藤俊哉ヴァイオリンコンクール・ジュニアアーティスト部門史上最年少第1位、第58 回全日本学生コンクール全国大会中学校の部第1位など、数多くの音楽コンクールで優勝、入賞している。東京芸術大学音楽学部附属音楽高校1年生。
 
   
   フォーレ:『レクイエム』から「ピエ・イェズ」
 
ガブリエル・フォーレ(1845- 1924 )は、小さいころ、教会で演奏されるオルガンや合唱を聴いてすっかり夢中になり、自分も音楽家になりたいと思ったそうです。9 歳の時から、パリの音楽学校で、作曲やオルガンを学びました。さきほどのサン=サーンスは、フォーレの先生です。フォーレは、ピアノ曲や、いろいろな楽器のための曲のほか、たくさんの美しい歌や、教会のための音楽を書きました。フランスは、国の90 パーセントの人がキリスト教を信じていて、そのうちほとんどが、「カトリック」という昔からの教会の教えに従う人たちです。カトリックの教会では、毎週日曜日や、結婚式、お葬式、また特別な行事があるときには、いつも「ミサ」とよばれるお祈りの儀式が行なわれます。ミサでは、聖歌(祈りの歌)が歌われたり、オルガンが演奏されたりするなど、音楽がとても大切です。「レクイエム」というのは、亡くなった人のためにささげられるミサのこと。フォーレの『レクイエム』は、彼が、亡くなった彼の父と母のために書いた作品です。「ピエ・イェズ」はその中の一曲で、「愛にあふれたイエスよ、彼らにやすらぎを与えてください」という意味の祈りです。
   ソプラノ:森麻季
 
東京芸術大学、同大学院修了。五島記念文化財団オペラ新人賞を受賞し渡欧、ミラノのヴェルディ国立音楽院、ミュンヘン国立音楽大学大学院修了。数々の国際コンクールで最優秀賞を受賞。国内外のオーケストラと共演し、古典から現代曲まで幅広いレパートリーで活躍。コロラトゥーラの高い技術と透明感のある美声、深い音楽性と華のある容姿で高い評価を受け、国際的ソプラノ歌手として注目されている。出光音楽賞受賞。ホテルオークラ賞受賞。二期会会員。
 
   
   ラヴェル:ボレロ
 
モーリス・ラヴェル(1875- 1937 )のあだなは、「オーケストラの魔術師」。オーケストラの楽器を使って、すばらしい響きを作り出すのが得意だったからです。お母さんがスペインとフランスの境にある「バスク」という地方の出身だったので、ラヴェルの音楽には、時々「スペイン風」のリズムやメロディーが登場することがあります。若いころのラヴェルは、先生であるフォーレに作曲を学びながら、パリの町にやってくるロシアや東洋の音楽に心をおどらせ、仲間たちと詩を読んだり、夜どおし音楽について語りあったりする、そんな若者でした。もちろん、先輩のドビュッシーやサティの音楽は彼のあこがれでした。きょう聴いていただく『ボレロ』は、まさに「オーケストラの魔術師」らしい曲。「ボレロ」とは、スペインの舞曲(踊りの曲)の名前です。「タン・タタタ・タ・タ・タ・タ・・・」というリズムを、はじめから終わりまでずっと小太鼓がたたきつづけます。そのリズムにのせて、オーケストラのさまざまな楽器が順番に登場し、メロディーを奏でます。楽器の音色のちがいによって、同じメロディーやリズムがどんな風に変わっていくのか。ささやくようなすごく小さな音から、猛獣がほえているような大きな音まで・・・。オーケストラの魔法を楽しんでください!
 
   
   音楽のまち(1) ― パリ
 
フランスの首都パリは、今もむかしも、あらゆる文化の中心地です。大きな権力を持っていたことから「太陽王」と呼ばれたルイ14世の時代には、世界中の人や物がパリに集まってきました。もちろん、たくさんの音楽家たちもやってきました。街には、オペラ劇場や、すばらしい響きのする大きな教会があり、そこが音楽家たちの活躍する舞台となりました。
今から250年ほど前、まだ音楽が王や貴族など、ごくかぎられた人のための楽しみだったころ、パリの街ではもうすでに、誰でも音楽を楽しむことができる演奏会が開かれていました。「ヴィルトゥオーゾ」と呼ばれるすぐれた演奏家たちが、おおぜいの人を楽しませることができたのも、そのような演奏会が開かれたおかげでした。
やがて19世紀のなかばごろ、つまり今から150年ほど前に、パリの街で「万国博覧会」が何度も開かれるようになりました。ちょうど「愛知万博」にロボットやマンモスの牙が登場しているように、博覧会には、そのころの最も進んだ技術で作られた物や、世界各地のめずらしい物がたくさん集められました。ドビュッシーの『海』の楽譜に使われたような日本の「浮世絵」もそのひとつでした。
そして20世紀のはじめごろ、ロシアから有名なバレエ団「バレエ・リュス」がパリにやってきます。民話を題材にした『シェエラザード』や『火の鳥』、リズムが爆発する『春の祭典』など、バレエ・リュスの音楽と踊りに、パリの人々はすっかりとりこになってしまいました。この「バレエ・リュス」の公演には、ドビュッシーやサティ、ラヴェルの音楽が使われ、画家のピカソやシャガール、それにデザイナーのココ・シャネルが舞台装置や衣装を作り、台本はコクトーなど詩人たちが書く・・・というように、さまざまな芸術家たちが参加していたのです。今日のパリも、いろいろな民族の人々が集まって来る街。ヨーロッパの人々のほか、中国やベトナムなどアジアの人々、アルジェリアやセネガルなどアフリカから来た人々、それにアラブの国々からやってきた人々が街を行きかっています。きょう聴いていただく音楽――色とりどりの楽器の音が奏でる音楽は、そんなにぎやかなパリの街の風景そのままではないでしょうか。
 
   
   音楽のまちの風景
 
第1回フランス(パリ)編
エマニュエル・ヌヴーさん(東京交響楽団 首席クラリネット奏者)


クラリネットのヌヴーさんが生まれ育ったフランスは、きょうみなさんに聴いていただいた作品が生まれたところです。「音楽のまちパリ」はどんなところ? ヌヴーさんはどうやって音楽を勉強したのかな。音楽のようにきれいに流れるヌヴーさんのフランス語を、奥様でクラリネット奏者の郡尚恵さんが通訳してくださいました。
●勇気づけてくれたお母さん

――ヌヴーさんの故郷を紹介してください。

ルーアンという、パリから北に100キロ行ったところです。昔の町並みがそのまま残っている小さくてすてきな町です。パリにも電車で1時間で出られるので、とても便利。サティが生まれたオンフルールや、モネの名画『睡蓮』で有名なジヴェルニーが近くにあります。

――音楽の勉強を始めたのはいつですか?

9歳からソルフェージュとリコーダーを始めて、クラリネットは10歳からです。母が音楽好きで、3人いる姉も、それぞれピアノ、ギター、ヴァイオリンをやっていました。クラリネットにしたのは、母が、モーツァルトのクラリネット協奏曲のレコードを聴かせてくれたのがきっかけです。とても気に入って吹いてみたいなと思いました。

――クラリネットの練習は楽しかったですか?

は い。最初は音を出すのがすごくむずかしくて苦労しました。でも大変だなと思っていた最初の2年間、母がいつも励ましてくれたので、がんばって練習できました。母は厳しく強制するのではなく、僕が自分から練習するように勇気づけてくれたのです。あの2年間がなかったら、いまの自分はなかったと思います。楽器がうまくなるには、毎日練習する習慣をつけることがとても大切ですから。それから今まで、クラリネットをやめたいと思ったことは一度もありません。

――最初、どういうところがむずかしかったのですか?
クラリネットには、くわえて息をふきこむマウスピースのところに、葦でできているリードがあって、これが音を出すうえで重要な働きをするのですが、1本1本厚さや形が違ったり、温度や湿度によってご機嫌斜めになったりするので、その選び方がむずかしかったです。あとこれは管楽器すべてにいえることですが、初めに口のかたち(フランス語でアンブッシャー)をちゃんと整えることが大切なので、その練習をたくさんしました。

――小さいときに行ったコンサートで印象に残っているのは?
母の知り合いのおばあさんでオペレッタが大好きな人がいて、その人と一緒に月に2回、ルーアンのオペラ座にオペレッタを観にいっていました。オペレッタはストーリーがおもしろいし、舞台や衣裳も華やかで、いつも行くのが楽しみでした。そのあとワーグナーのオペラを聴きにいったら、長くてちょっと退屈しちゃいました。

――ヌヴーさんがクラリネットを吹いていて、すごく楽しい曲は?
ドビュッシー、プーランク、ヴィドールなどフランスの曲が好きです。モーツァルトも大好きです。フランス音楽は音色、和声がとてもきれいで、流れるように自由なところが、吹いていて心地よいです。

●美しいものへのこだわり


――「音楽のまちパリ」で暮らしたのは?

パリ高等音楽院(コンセルヴァトワール)で勉強した22歳から25歳まで暮らしました。学校はヴィレットという北のほうにあるんですが、僕はエッフェル塔の近くに住んでいました。学校はすばらしい先生がそろっていましたし、生徒もすごく上手な人たちが集まっていたので、いつも刺激があって、勉強できることがとてもうれしかったです。週末は映画をみたり、パリの街を散歩したりして過ごしました。

――パリはたくさんの人が憧れる町。モーツァルトやショパン、ワーグナーをはじめ、世界の音楽家がパリをめざしてやってきて、曲を書いたり、演奏したりしています。美術、映画、ファッションも盛んです。パリが“芸術の都”なのは、どうしてだと思いますか?
フ ランス人にとってはすごくむずかしい質問ですね(笑)。フランス人は美しいものにこだわりがあることが一番の理由かな。それにノスタルジックで古いものが好きなので、昔からあるものをずっと大切に持っていたいという気持ちが強いと思います。だから音楽もそうですし、歴史的な建物や美術品など、古くからあるものを大切にしています。それと同時に、新しいものへの関心もとても高くて、新しくピラミッドの建物を造ったルーヴル美術館のように、古いものと新しいものが一緒に生きているのもパリの特徴です。

――フランスは食べ物もおいしいですね。ヌヴーさんのお料理の腕前は?
フランス料理をたまに作ります。牛肉の赤ワイン煮とかキッシュとか。5時間くらいかかることもあるので大変ですけれど、おいしいものができて喜んでもらえるとすごく嬉しいです。

――定期会員のみなさんにメッセージをお願いします。

音楽を聴くときも、演奏するときも、いつも喜びをもっていてほしいと思います。初めてこども定期で演奏したとき、みなさんが集中して、関心をもって聴いてくださっているのがわかって、とても感動しました。パリでもパリ管弦楽団が「こどもたちのためのコンサート」をやっていますが、このようなコンサートが世界で行われているのはすばらしいことですね。みなさんがこれからもずっと、音楽を愛する人たちでいてくれることを願っています。
   
 
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