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2003年12月20日(土) |
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■ワーグナー作曲 オペラ『タンホイザー』から「歌の殿堂をたたえよう」 |
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リヒャルト・ワーグナー(1813-83)は、19世紀のドイツで活躍した、最も有名なオペラの作曲家です。彼は、人々がオペラを聴くときに、劇の内容や、全体の音楽の流れに気持ちを集中することができれば、オペラをもっと深く理解し、楽しめるようになるだろうと考えて。自分のオペラを上演するための特別な劇場を作りました。そしてそこで、全部上演するのに、なんと4日間もかかってしまうようなオペラを作ったりもしたのです。
ワーグナーのオペラは、ドイツのむかしの伝説を題材にしたものが多くあります。音楽もその伝説の世界と同じようにロマンティックで、聴いている人はそのなかに引きこまれてしまいます。『タンホイザー』も、やはり中世(5世紀から15世紀くらいの約1000年間の時代)の伝説をもとにした作品です。
主人公のタンホイザーは、ドイツのチューリンゲンという町の殿さまに仕える騎士でした。この時代、騎士たちは、武器を持って戦うだけでなく、詩人でもあり、歌手でもありました。町では、しばしば歌合戦が行われ、すぐれた歌手を選び出してたたえるという習慣があったのです。しかし、むかし悪の道に入ったことのあるタンホイザーは、騎士たちのまじめで立派な歌をあざわらい、「そんなものは愛でも喜びでもない!」と言うので、怒った人々にその場を追放されてしまいます。タンホイザーは、神のゆるしを願いますが、彼の罪は決してゆるされないと知り、絶望にうちひしがれます。そのタンホイザーを救ったのは、殿さまの娘で彼の恋人でもあるエリーザベトの愛でした……。
「歌の殿堂をたたえよう」は、これから歌手たちの歌合戦が始まろうとする場面で歌われる、おごそかな大合唱曲です。殿さまとエリーザベト、そしてたくさんの騎士が見守るなか、歌手たちが入場します。一同は、神聖な場所と、殿さまをたたえて、「私たちはいま、喜びにあふれて、このとうとい歌の殿堂にあいさつを送る。芸術と平和が、ここに永遠にとどまりますように。喜びの声よ、長く響きわたれ。殿さま、ヘルマン様、ばんざい!」と歌います。 |
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■合唱:東響コーラス |
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| 「東京交響楽団とともに、より質の高い合唱つきオーケストラ作品のコンサートを行う」ことを目的に、1987年に発足した東京交響楽団直属のアマチュア合唱団。公演ごとに出演者を決定するオーディションを行い、バロック音楽から現代音楽までの幅広いレパートリーで高い評価を得ている。 |
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■合唱指揮:三澤洋史 |
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| 国立音楽大学声楽科、ベルリン芸術大学指揮科卒業。〈東京の夏〉音楽祭公演でオペラ指揮者としてデビュー。1999年から毎年バイロイト音楽祭の祝祭合唱団の指導スタッフの一員として招聘されている。2002年、新国立劇場で『ヘンゼルとグレーテル』を指揮。新国立劇場合唱団音楽ヘッドコーチ、合唱指揮者。 |
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■プッチーニ作曲 オペラ『ジャンニ・スキッキ』から「いとしいお父さん」 |
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ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)は、『蝶々夫人』や『トゥーランドット』などのオペラを書いたことで知られる、イタリアの作曲家です。プッチーニのオペラは、すてきなアリアがたくさんありますが、この「いとしいお父さん」も、一度聴いたらきっと忘れられないほど美しい歌です。
『ジャンニ・スキッキ』は、ダンテという有名な作家の作品をもとに書かれたオペラです。あるお金持ちの老人が亡くなり、親類たちが遺言状を開けてみると、「財産はすべて修道院に寄付する」ということが書かれています。あてがはずれた親類たちは困って、頭のいいジャンニ・スキッキになんとかしてもらおうということになります。ところがジャンニ・スキッキは、よくばりな親類たちをだまして、老人の財産をぜんぶ自分のものにしてしまう、というお話です。
このアリアは、ジャンニ・スキッキの娘ラウレッタが歌う歌。ラウレッタは老人の親類の一人である若者リヌッチオと恋人どうしなので、父親が彼らに親切にしてあげるかどうかが心配なのです。「いとしいパパ、彼は、やさしくてすばらしい人なのよ。私たちの結婚指輪を買いに行かせてちょうだい。結婚できなければ、私、ヴェッキオ橋からアルノ河に身を投げてしまうわよ。お願いよ、パパ」と心をこめて歌います。歌詞はイタリア語です。 |
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■ソプラノ:松田昌恵 |
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| 東京芸術大学卒業、同大学院修了。第3回JSGシューベルト国際歌曲コンクール女声部門第1位。第4回日本声楽コンクール第1位。第5回奏楽堂日本歌曲コンクール第1位。コンサートや日本歌曲のリサイタルでは、完成度の高い音楽性が高く評価されている。オペラでは『道化師』『カルメン』などに出演。二期会会員。 |
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■ビゼー作曲 オペラ『カルメン』から「ハバネラ」 |
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『カルメン』は、フランスの作曲家ジョルジュ・ビゼー(1835-75)が書いたオペラで、スペインのアンダルシア地方、セビーリャという町が舞台です。カルメンは、美しいロマ(むかしジプシーと呼ばれた、自由に生きる人々)の女性。主人公の兵士ドン・ホセも、闘牛士のエスカミーリョも、若者たちみんなが彼女に夢中です。ドン・ホセは、婚約者がいるにもかかわらず、けんかでつかまったカルメンを逃がしてしまったり、カルメンといっしょに密輸者の仲間に入ったり。彼の人生の歯車は、カルメンに恋したおかげで、どんどん違った方向に進んでいきます……。
有名な「ハバネラ」は、広場でおおぜいの人に囲まれたカルメンが、ちょっとつれない態度を見せたホセにむかって、彼を誘惑するように歌う歌です。歌詞はフランス語で、「恋はロマのこども。へそまがりの小鳥のようなものさ。だれも手をつなげることはできやしない。あんたが私をきらいでも、私はあんたを好きになる。私に好かれたら気をつけな、あぶないよ!」という内容です。 |
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■メゾ・ソプラノ:与田朝子 |
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| 国立音楽大学卒業。文化庁派遣在外研修でイタリアに留学。Bunkamura『マダム・バタフライ』のスズキをはじめ、数々のオペラで、日本初演を含む意欲的な上演の成功に貢献。2002年、宮本亜門演出『フィガロの結婚』マルチェリーナに出演。「第九」「メサイア」「レクイエム」などオーケストラとの演奏会でも活躍中。二期会会員。 |
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■ディ・カプア作曲 オー・ソレ・ミオ |
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『オー・ソレ・ミオ(ああ、私の太陽よ)』というタイトルのこの歌は、エドゥアルド・ディ・カプア(1865-1917)という人が作曲したものですが、今ではもう世界中で「イタリア民謡」として親しまれています。
歌詞はイタリア語で、「あらしが去ったあとの、さわやかな空気のなか、かがやく太陽はなんて美しいのだろう。でも私には、もうひとつの太陽、もっと美しい太陽がある。ああ、私の太陽!君のかがやくひとみ!」という内容です。 |
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■テノール:辻
裕久 |
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| 東京芸術大学卒業、同大学院修了。英国王立音楽院大学院演奏家養成コース修了。イギリス・グレートエルム声楽賞、第32回フランシスコ・ヴィーニアス国際声楽コンクール第3位ならびに最優秀オラトリオ・リート歌手賞受賞、ニューヨーク国際オラトリオ・コンクール入賞など。CD「ベンジャミン・ブリテン歌曲集」ほか多くの放送、録音を行っている。 |
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■モーツァルト作曲 オペラ『魔笛』から「おいらは鳥刺し」 |
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ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-91)は、短い一生の間に、たくさんの作品を書きました。『魔笛』は、彼が亡くなる直前に書いたオペラのひとつです。
王子のタミーノと陽気な仲間のパパゲーノは、夜の女王にたのまれて、女王の娘パミーナをさがしにきます。するとそこにはザラストロという立派な僧(神に仕える人)がいて、タミーノとパミーナがたがいに愛しあっているならば、試練(人がきたえられるために必要な苦しみ)を受けなければならない、と言います。二人は勇気を出して「火の試練」と「水の試練」にたちむかい、皆の祝福を受ける…というお話です。
聴いていただくのは、この物語のはじめの部分で、タミーノとパパゲーノが出会う場面です。森のなかに迷いこんだタミーノの前に、パパゲーノがふらっと現れます。パパゲーノは鳥を捕まえるのが仕事。羽のついた奇妙な服を着て、鳥の入った大きなかごを下げたパパゲーノは、笛を吹きながら歌います。
歌詞はドイツ語で、「そうとも、おいらは鳥刺しさ!陽気にハイザ、ホプササ!おいらは有名人。こどもも年よりも、みんながおいらを知っている。笛を吹くのもうまいんだ。鳥はみんなおいらのものさ。あとは、かわいい女の子をつかまえる網があったらいいな。そしたら何ダースもつかまえて、一番好きな子にお砂糖をあげるんだ」と歌います。 |
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■バス・バリトン:宇野徹哉 |
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| 中学2年のとき、担任の音楽教師の影響で合唱部に入部。高校2年から声楽レッスンを始め、京都市立芸術大学入学。同大学卒業。第1回日本シューベルト協会国際歌曲コンクールで第1位を受賞したのをきっかけにベルリン芸術大学に留学。同大学卒業。帰国後は東京を中心に演奏活動や東響コーラスをはじめとする合唱団の指揮にあたっている。二期会会員。洗足学園講師。 |
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■ビゼー作曲 『アルルの女』組曲第1番から「カリヨン」 |
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さきほどの『カルメン』と同じく有名なビゼーの作品『アルルの女』。これは、フランスの作家ドーデーという人の劇に、ビゼーが音楽をつけたものです。舞台は、南フランスのプロヴァンス地方。アルルという小さな村で、青年フレデリは美しい女性と出会い、恋をします。フレデリは、家族の反対を押し切って、その「アルルの女」と結婚しようとするのですが.......。ビゼーの音楽には、プロヴァンスののどかで美しい自然の風景や、人々の生活のようすが、いきいきと描かれています。
「カリヨン(鐘)」は、村の祭りの日の場面で演奏される音楽。楽しげな鐘の音が鳴り響き、花をかざったりして祭りの準備をする人々の姿が見えてくるようです。 |
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■ベートーヴェン作曲交響曲
第9番 ニ短調「合唱付」から第4楽章 |
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『第九』全曲を聴こう−その4
きょうはいよいよ第4楽章。そもそも「交響曲」のもとになった言葉「シンフォニア」には、たくさんの人の声が集まってひとつの音楽をつくること、声と楽器が合奏すること、いろいろな音楽がひとつの曲として演奏されること、などの意味があり、時には「音楽」そのものをさす言葉として使われていました。
ベートーヴェンがこの曲を演奏したのは、今から180年前のことですが、その時、合唱には約100人が参加していたといわれています。どこからそんなおおぜいの人が集まったと思いますか?-実は、そのころドイツやオーストリアではアマチュア合唱がとてもさかんでした。ふつうの市民が、音楽を自分たちのものとして楽しんでいたのです。19世紀は、合唱音楽の名曲が数多く書かれた時代ですが、もし市民の熱心な音楽活動がなかったら、それらの作品は生まれなかったかもしれません。そうです、「第九」の合唱を支えていたのは、音楽を愛するふつうの人々の、声の「シンフォニア」だったのです。
ところで、日本ではじめて「第九」が演奏されたのはいつか、ごぞんじですか?それは、第一次世界大戦中の1918年、徳島県の鳴門市でのことでした。演奏したのは、ほりょ(敵にとらえられた人)として日本につれてこられたドイツ人の兵士たち。会場は、そのころ鳴門にあった収容所(ほりょを集める施設)です。ドイツ人たちは収容所生活の中でも音楽を忘れず、オーケストラや合唱団を作っていたといいます。音楽は、彼らの心をひとつにして友情を育て、苦しい日々を支えただけではありません。音楽を通じて地元の日本人たちとも交流が深まったり、戦争中の敵どうしなのにもかかわらず、そこにはオアシスのような平和があったと伝えられています。
今でも日本中で、「一万人の第九」とか、「下町の第九」など、たくさんの人々が集まって「第九」を歌うことがありますね。おとなもこどもも、男も女も、プロの音楽家もアマチュアの人も、一人一人ちがう個性と声を持った人が集まって、心をあわせて音楽を奏でる-それこそが「交響曲」、それこそが「音楽」だと思いませんか?
この第4楽章の有名な合唱は、ドイツの作家シラーが、人間の自由と平等を夢見て書いた「喜びによせて」という詩にもとづいています。「喜びよ、美しい神の火よ。あなたの力によって、引きはなされたもの、区別されたものが結びつけられ、すべての人が兄弟となるのです。どのような者にも、神は真の友と愛する人を与えられるのです。…兄弟たちよ!星のかがやく天には、父である神がいらっしゃる。地にひれふして、造り主をたたえなさい」という内容です。 |
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