| |
|
 |
 |
2003年8月30日(土) |
|
| |
|
| |
|
| |
■バーンスタイン作曲 『ウエスト・サイド・ストーリー』から「マンボ」 |
| |
有名な指揮者のレナード・バーンスタイン(1918-90)は、20世紀のアメリカを代表する作曲家でもあり、オペラやバレエ、ミュージカルをはじめたくさんの作品を残しています。映画にもなった『ウエスト・サイド・ストーリー』は、1957年、バーンスタインが39才のときに書いたミュージカル。いまでもとても人気のある作品で、「トゥナイト」や「アメリカ」など、すてきなナンバー(曲)がたくさん出てきます。
お話の舞台は、大都市ニューヨークの下町です。移民(外国から移ってきて、その国に住むようになった人々)の国と呼ばれるアメリカには、さまざまな民族や人種の人たちが住んでいます。ことにニューヨークには、中南米、ヨーロッパ、アフリカ、アジアなど、世界各地からやってきた人々がいます。それだけに、とても残念なことですが、ときには言葉や宗教、生活習慣のちがいから、差別やトラブルが起きることがあるのも事実です。
『ウエスト・サイド・ストーリー』は、そうした悲しいトラブルにまきこまれてしまった若者たちの物語です。町にたむろする二つの不良グループ..白人たちの「ジェッツ」と、プエルトリコ(中米にあるアメリカ領の国)人たちの「シャークス」は、たがいにいがみ合っていました。「ジェッツ」のリーダーの友人である主人公のトニーは、若者たちのダンス・パーティーで、「シャークス」のリーダーの妹マリアと出会います。トニーは美しいマリアに一目で恋をしてしまいますが、仲間たちはそれがおもしろくありません。愛しあう二人の運命はどうなってしまうのでしょうか……。
きょう聴いていただく「マンボ」は、トニーとマリアがはじめて出会うダンス・パーティーの場面の音楽。二つの不良グループは、どちらも自分たちの音楽でフロアを占領しようとします。ラテンのリズムに乗った「マンボ」は、リズミカルな打楽器が大活躍。モダン・バレエの振付家、ジェローム・ロビンズの振り付けたダンスでも有名な場面です。 |
|
|
 |
| |
 |
| |
|
| |
■ストラヴィンスキー作曲 バレエ組曲『火の鳥』(1919年版) |
| |
イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)は、20世紀に活躍したロシア出身の作曲家です。ロシアは、フランスとならんでバレエの盛んな国として知られていますが、とくに20世紀のはじめごろには、「バレエ・リュス」(ロシア・バレエ団とも呼ばれます)という有名なバレエ団があり、ヨーロッパ中で活躍していました。
『火の鳥』は、ストラヴィンスキーがその「バレエ・リュス」のためにはじめて書いたバレエ音楽。パリのオペラ座で初演(はじめて公に演奏されること)され、たいへんな人気を呼びました。「組曲」は、そのなかの主な曲を選んで演奏会用にまとめたものです。当時まだかけ出しの若い作曲家だったストラヴィンスキーは、この作品で一躍有名になり、このあと、『春の祭典』や『結婚』などバレエ音楽の傑作をつぎつぎに生み出していくことになります。
ここは、恐ろしい魔物たちが住む「影の国」。第1曲「イントロダクション(序曲)」で聞こえてくるのは、うごめく魔物たちの足音でしょうか。魔物たちのうなり声でしょうか。まっ暗な森の真ん中には魔王の城があり、その庭には、金色の果実をたわわに実らせた魔法の木が立っています。
そこへとつぜん、まばゆいほどにかがやく翼をはばたかせ、火の鳥が飛んできます。そして火の鳥を追って、狩をするイヴァン王子も登場。短い第2曲「火の鳥の踊り」と、すぐそれに続く第3曲「火の鳥のヴァリアシオン」の場面です。バレエでいう「ヴァリアシオン(フランス語。英語でヴァリエーションともいいます)」は、登場人物の性格や魅力を表わすソロの踊りのこと。ここでは、火の鳥のすばやく、美しい動きを表現します。
勇敢な王子は、とうとう素手で火の鳥をつかまえます。火の鳥は、王子に自分の羽を一本さし出し、逃がしてくれるようにたのみます。王子が火の鳥を放してやり、飛んでいくのを見送っていると、魔法の城の門が開き、城にとらわれている王女と12人の乙女たちが現われます。王女たちは、魔法の木の果実で遊びたわむれ、第4曲「王女たちのロンド」で優雅にロシアの踊りを踊ります。その姿を見て、王子は王女に恋をしてしまい、魔王の手から救い出すことを誓います。
城に乗りこんだ王子は、たちまち恐ろしい魔物たちに囲まれます。しかし、火の鳥にもらった不思議な羽の力で、魔王カスチェイの魔法も王子にはききません。王子が羽を振りかざすと、ふたたび火の鳥が飛んできます。こんどは魔王と手下たちが、火の鳥の魔法にかかって踊り出します。第5曲「魔王カスチェイの恐ろしい踊り」の場面です。
踊り疲れた魔物たちは、第6曲「子守歌」で火の鳥がうたう子守歌を聞きながら、すやすやお休み。イヴァン王子は、火の鳥に導かれるままに、魔王の魂の入った卵をみつけ出し、それを地面にたたきつけてこわします。魔王はとうとう退治されたのです。
するとどうでしょう。暗闇は消えさり、魔法で石にされていた人々がよみがえります。第7曲「フィナーレ(終曲)」は、喜ぶ人々に祝福された王子と王女の、華やかな婚礼のシーンです。 |
|
|
 |
| |
 |
| |
|
| |
■ベートーヴェン作曲交響曲
第9番 ニ短調「合唱付」から第2楽章 |
| |
『第九』全曲を聴こう−その2
〈「交響曲」とは何だろう〉
「交響曲」は、いくつかの楽章(ふつうは四つ)からできているオーケストラ音楽です。この「交響曲」の基本の形ができたのは、今から250年ほど前、18世紀のなかばごろのことでした。
「交響曲の父」と呼ばれているのは、ハイドン(1732-1809)です。ハイドンは、100曲以上の交響曲を書くうちに、もっともバランスのよい楽器の組み合わせと、形式(曲の組み立て)を作り上げました。つづいて、数十曲の交響曲を書いたモーツァルト(1756-91)は、「テーマ(主題)」という決まったメロディーをいくつか使って、曲全体を一つの物語のように組み立てる方法や、音楽全体の響きの色彩を、あざやかに変化させる方法をみつけだしました。そしてベートーヴェン(1770-1827)は、九つの交響曲のなかで、いろいろな音楽の実験を行い、自分だけの、自分にしか作れない、個性的な音楽にしようとしました。彼は、交響曲を自分の「分身(もうひとりの自分)」のように考えていたからです。とくに『第九』交響曲は、その実験の成果をすべてつぎこんで書いたので、音楽の歴史のなかで後にも先にもないような、とても個性的な作品になったのです。
ベートーヴェンの後も、いろいろな交響曲が書かれました。けれども、彼らが必ず一度は研究し、お手本にしているのが、ベートーヴェンの交響曲なのです。
〈交響曲の形〉
交響曲には、ほぼ決まった形があります。作品の「顔」になる第1楽章は、たいてい生き生きとした速めのテンポで、堂々とした感じ。第2楽章は、ゆったりと、美しいメロディーを聴かせます。第3楽章は、軽やかな性格の音楽。そして第4楽章は、やはり速めのテンポで、最後をかざるのにふさわしい、勢いのある音楽。..『第九』では、第2楽章と第3楽章の内容が逆になっていますが、それはベートーヴェンの考えた工夫です。
〈きょうの『第九』〉
ベートーヴェンの『第九』交響曲、きょうは第2楽章です。これは、「おどけている」という意味の「スケルツォ」という音楽です。曲のはじめに、びっくりするようなおもしろいリズムを使うという点では、交響曲
第5番と似ていますね。このリズムは、曲のなかで何度も登場します。ほかにも、メロディーがつぎつぎ追いかけるように出てくる「フーガ」や、同じパターンを少しずつ変えながらくり返す「変奏」など、ベートーヴェンの得意な技がいろいろ隠されています。 |
|
|
 |
| |
 |
| |
|
| |
■サン=サーンス作曲 交響曲
第3番『オルガン付』から 第2部の後半 |
| |
カミーユ・サン=サーンス(1835-1921)は、フランスの作曲家で、すぐれたピアニスト、オルガニストとしても知られていました。パリの大きな教会であるマドレーヌ教会のオルガニストになったのは22才の時で、彼がその若さで重要な仕事についたことにまわりの人々はとても驚いたそうです。20年この仕事をつとめる間に、サン=サーンスの名声はヨーロッパ中に広まりました。有名なピアニストで、やはりオルガニストでもあったフランツ・リストは、サン=サーンスの演奏を聞いて「彼こそは最高の演奏家だ」とほめちぎったといいます。
そんなサン=サーンスは、作品の中でピアノやオルガンをじつに巧みに使います。よく知られた『動物の謝肉祭』もそのよい例ですが、なかでもこの曲のように、オルガンとピアノを使う交響曲というのは、たいへんめずらしいものです。この曲は、第2部の前半も有名ですが、きょう聴いていただく後半は、まるで教会音楽のようにおごそかな音楽です。ベートーヴェンとはまたちがった「交響曲」の響きを楽しんでください。 |
|
| |
|
|
 |
| |
|
| |
|